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再帰性と起承転結 [社会]

一昨日の積雪以来ますます冷え込みがきつくなって来た。今日等は快晴にも関わらず
深々と冷え込み真冬並みの寒さである。“奈良のお水取りの頃は寒い”と母が言っていた。
今年は、その言葉がピタリと当てはまる。 ○ 底冷えで 母思いだす お水取り
明日は奈良の東大寺・二月堂のお水取りである。

昨日発売された「文芸春秋」4月号の塩野七生が書いた“「密約」に思う”の内容は、
私が「核密約問題」における民主党のやり方に対する批判で、言い足りなかった事を的確に
言ってくれている。学識というものはこういう風に使うものだと感心した。
塩野七生は、第二次世界大戦で同じ枢軸国として敗戦したイタリアを例に、文明論や国際法
が通用しない戦争というリアリティをまざまざと再現してくれた。現代でも言えるが、
法治圏を越えた武力発動(他国を先制攻撃すること)は、元々、国際法や文明論を無視した
行動であり、そういう行動をする集団を裁く場合、国際法や文明論を素直には適応できない
のは、当然ではなかろうか?この記事を浅薄に読むと戦勝国側が、全く弱肉強食の人非人の
ように思うかもしれないが、それは先制攻撃した行動がどれ程利己的なものかを忘れている。

戦争反対を強調する人は多いが、この先制攻撃が、いかに自己中心的利己心の塊であるか
を、深く反省しない限り、また戦争を仕掛けないとは限らないのである。「核密約問題」を
忙しい時に取り上げる価値があるのか?と私は度々繰返したが、この記事はその答について
“今「密約」問題を取り上げてトクすることがあるとすれば、全員が現実を直視すること”と
書いている。この答は「核密約問題」を取り上げる必要性の無さを強調しているのでは?と
私は敢えて言いたい。私がブログ‘2009-11-23:続2・たこ壷社会’等で度々取り上げた様に
“起承転結”サイクルで、今や日本社会が現実から目を逸らしている時期に差しかかっている。
日本人全員が現実を直視する必要性は、「密約」等によらず、既に明らかなのである。

然るに、「核密約問題」を取り上げた結果は、塩野七生が指摘する方向とは全く反対である。
現実を捻じ曲げ、問題を他人のせいにして、民主党が、いかにも立派な仕事を成し遂げたと
思わせるように、ことは運んでいるのである。世の中の動きは、世論調査や、経済指標など
様々なデータがあって可視化されているように見えるが、現実は、診断書だけあって人体は
見当たらない状況と同じである。実態は分からない。だから再帰性が発生して大きくうねる。
このうねりを破綻させない範囲で押さえこまないと大変な事になる。如何なものか。
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