歴史閑話'10.03.10 [歴史]
私は最近、エーリッヒ・フロムの書物を読み返す機会が増えた。彼の様な立派な人間ではないが
私と似ている所がある。ある本で彼は曽祖父のことを例にしながら自分の青少年時代の感覚を
語っていた。曽祖父は貧乏な商人だったが、ユダヤ教のラビに匹敵する偉い人だったらしい。
いつも店番しながら勉強していたが、店に客が来ると不機嫌に「他に行く店はないのかね?」と
不満そうに言ったという。少年フロムは、そういう家庭環境だったから、近代という時代には
そぐわなかったらしい。私の曽祖父も百姓だったが、畑でミミズを切ったと言っては、仏間に
こもって一日お経を上げていたという。勿論、私に聞かせる目的は、曽祖父が怠け者だった
という訓戒談だったが、語る親族達の曽祖父への敬愛の念は隠しても伝わってきた。
私は、戦争直後の米国直輸入の民主主義教育を受け、その理想と現実を一緒くたに受け取り
曽祖父的中世的雰囲気と、近代のハザマで生きてきながら、その分裂の修復を考えていた。
人類の混沌とした歴史の中で、西欧の近代化は壮大なロマン(或いは幻想?蜃気楼?)を生み
だした。しかしそれは西欧ならばキリスト教的道徳、日本なら儒教的仏教的、或いは武士道的、
または「人様の目」を意識した道徳によって、人間が利己主義に陥らないことが前提だった。
近代化の壮大なロマンは西欧では既に20世紀初頭から、日本でも三丁目の夕日時代から崩れ、
西欧では20世紀半ば、日本では、20世紀末から決定的な崩壊の道を辿っていると思う。
近代化の夢は既に第一次、第二次世界大戦で消えている?更なる破局に向かっているのでは?
フロムは、この様な破局を予想しながら、破局回避の選択をしない理由を幾つか挙げている。
その1つが、指導者達が破局を避けるために、何か有効なことをやっていると見せかける事で
指導者側も民衆側も良心を麻痺させて、自分達の置かれている現実から逃避しているという。
2つ目の理由として人々に要求される生き方の変革が余りにも極端なので、変革の厳しさより
将来の破局を選ぶという。3つ目は、指導者達が社会的責任より個人的成功を重視すること。
私は、自民党の小泉改革は上記の回避理由ではなく破局回避対策の方向に沿っていたと思う。
その後、安倍、福田、麻生の内閣は若干改革修正路線だったが、それが裏目に出て政権交代
になった?或いは民衆の利己心?民主党は、破局の回避選択をしない理由の第1に当てはまる
と思う。“子ども手当”、“事業仕分け”、“連休組み換え”等のスタンドプレーは指導者の個人的成功
を重視している。それを正当化するために戦前の日本軍やイスラム原理主義者、或いはヒトラーの
ように独善的・狂信的な理想を偶像崇拝する方向ではないか?如何なものか。
私と似ている所がある。ある本で彼は曽祖父のことを例にしながら自分の青少年時代の感覚を
語っていた。曽祖父は貧乏な商人だったが、ユダヤ教のラビに匹敵する偉い人だったらしい。
いつも店番しながら勉強していたが、店に客が来ると不機嫌に「他に行く店はないのかね?」と
不満そうに言ったという。少年フロムは、そういう家庭環境だったから、近代という時代には
そぐわなかったらしい。私の曽祖父も百姓だったが、畑でミミズを切ったと言っては、仏間に
こもって一日お経を上げていたという。勿論、私に聞かせる目的は、曽祖父が怠け者だった
という訓戒談だったが、語る親族達の曽祖父への敬愛の念は隠しても伝わってきた。
私は、戦争直後の米国直輸入の民主主義教育を受け、その理想と現実を一緒くたに受け取り
曽祖父的中世的雰囲気と、近代のハザマで生きてきながら、その分裂の修復を考えていた。
人類の混沌とした歴史の中で、西欧の近代化は壮大なロマン(或いは幻想?蜃気楼?)を生み
だした。しかしそれは西欧ならばキリスト教的道徳、日本なら儒教的仏教的、或いは武士道的、
または「人様の目」を意識した道徳によって、人間が利己主義に陥らないことが前提だった。
近代化の壮大なロマンは西欧では既に20世紀初頭から、日本でも三丁目の夕日時代から崩れ、
西欧では20世紀半ば、日本では、20世紀末から決定的な崩壊の道を辿っていると思う。
近代化の夢は既に第一次、第二次世界大戦で消えている?更なる破局に向かっているのでは?
フロムは、この様な破局を予想しながら、破局回避の選択をしない理由を幾つか挙げている。
その1つが、指導者達が破局を避けるために、何か有効なことをやっていると見せかける事で
指導者側も民衆側も良心を麻痺させて、自分達の置かれている現実から逃避しているという。
2つ目の理由として人々に要求される生き方の変革が余りにも極端なので、変革の厳しさより
将来の破局を選ぶという。3つ目は、指導者達が社会的責任より個人的成功を重視すること。
私は、自民党の小泉改革は上記の回避理由ではなく破局回避対策の方向に沿っていたと思う。
その後、安倍、福田、麻生の内閣は若干改革修正路線だったが、それが裏目に出て政権交代
になった?或いは民衆の利己心?民主党は、破局の回避選択をしない理由の第1に当てはまる
と思う。“子ども手当”、“事業仕分け”、“連休組み換え”等のスタンドプレーは指導者の個人的成功
を重視している。それを正当化するために戦前の日本軍やイスラム原理主義者、或いはヒトラーの
ように独善的・狂信的な理想を偶像崇拝する方向ではないか?如何なものか。