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落語・今昔物語 [閑話]

今朝のTV朝日スーパーモーニングで、「“円生”泥沼襲名騒動」というのをやっていた。
三遊亭円生の名跡襲名をめぐる騒動のようだ。詳細を知らない襲名騒動に関しては言及を避け
今、落語の昔を振り返ってみる。襲名騒動番組後、友人のブログを見た事がキッカケとなった。
友人のブログに、三代目・三遊亭歌笑の碑(秋川渓谷のほとり?)の写真が載っている。
何気なくその写真を拡大して碑文を読んでみた。 渥美清の署名がある。
「ブタの夫婦がのんびりと 畑で昼寝をしてたとさ ・・・中略・・・ 女房のブタが驚いて
 あたりのようすを見るならば いままで寝ていたその場所は キャベツ畑であったとさ」
後で知ったが、これは、歌笑の新作噺「純情詩集」の1つである。
何故、渥美清が碑文を書いたかだが、渥美清が映画(「おかしな奴」1963年)、更には
TVドラマ(「おもろい夫婦」1966年10月6日~翌年3月30日)の中で歌笑を演じた縁の様だ。

三代目・三遊亭歌笑は、大正6年(1917)生れ、昭和25年(1950)32歳の若さで交通事故の
ためになくなった。亡くなった当時は「純情詩集」などで人気絶頂だったという。苦労も
あったろうが、素晴らしいお嫁さんをもらって幸せだった?終戦直後の純情詩集の1編に
「やるせないないやるせない ボクの家には悲しくも 米もなければミソもない・・・中略・・・
 ものを買うにもゼニがない ・・・中略・・・ おまけに仕事が見つからない 泣いても涙も
でてこない やり切れないないなさけない」 というのもある。

こういう情報は、小島貞二著「高座奇人伝」筑摩文庫からの受け売りである。
「純情詩集」の元ネタは、柳家金語楼の若い頃の新作噺「金三詩集」だという。
私は残念ながら、三遊亭歌笑の落語を聴いた記憶がない。昭和25年といえば私は9歳だった。
ただあの頃はラジオ全盛で家族もよく落語を聞いていたから、録音を聞けば思い出すかも?
「純情詩集」をまねたのが、柳亭痴樂の「痴楽綴方狂室」である。これは私の記憶にも
残っている。「ヒロシです」もこの系譜に連なっているといえなくもないのか?

前述の「高座奇人伝」で、歌笑が漫才を警戒しマークしていたこと。落語の世界のことを
“狭い世界”と批判していたことを知った。あの当時の人々は本質を見る目があった?
歌笑が亡くなってから60年の歳月が流れた。歌笑の心配は早すぎたとも言えるが、高度成長
という日本の未曾有の出来事が、様々な事の本質を見失う大きな障害となっていることも
見過ごしには出来ないのではないだろうか? 如何なものか。
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参院選民主党大敗? [希望]

今日のある証券会社の当面の相場見通しでは、“日経平均株価は過去二年共、三月が底値で2009年3月10日はバブル経済崩壊後の最安値(7054円)だった。今年は3月8日に一ヵ月半ぶりに1万5百円台を回復。毎年4月以降は買われ易く、今年も上昇期待が膨らんでいる。日経平均株価は輸出関連企業の収益改善を受け5月連休明けにも1万1500円程度まで上昇するだろう。”というもの。やはり、春先は気分もはしゃいで、景気が良くなるのだろうか?

政治の方は、花見酒気分で乗り切るというわけには行かない?今や日本には不吉な暗雲が立ち込めている。私は暗雲を払いのける希望の物語は今夏・参院選の与党過半数割れによるねじれ現象しかないと思っている。民主党支持率に関して、小沢幹事長が、「かつての民主党支持率に比べればまだまだ高い」と言っているそうだ。この件に関しては私は小沢氏の見方が正しいと思う。更なる支持率低下を祈りながら、今週も「週刊現代」を拾い読みして感想を書く。

夏の参院選の勝敗だが、田中秀征×田崎史郎の対談記事・“参院選は民主党大敗へ”を読んで、大敗の要因を列記した。◎最近の世論調査で、民主党の参院選単独過半数を取らない方が良いという人が6割近い。◎鳩山首相の政治手法に問題がある。また指導力がない上に問題意識もない。政権交代をした後の展望がなかった。自民党を倒すことが終着駅。
また中村彰彦(作家)の記事の中からの大敗の要因は、◎民主党の中には昨年の政権交代を「明治維新」になぞらえる議員もいるようだが、現状は幕末の様相。さらに、野口健(アルピニスト)の記事の中からの大敗の要因は、◎遺骨収集についての鳩山首相宛の質問状に対する回答が、役人が書いた文書。脱官僚の看板に偽りあり。◎ブルネイ国王へのリップサービスのつもりで言った “無税のブルネイ国に日本国民も移住したいだろう。”は、日本の納税者に対する感謝の気持もなく、正に自分の本音を吐露したのでは?◎小沢幹事長のキリスト教・イスラム教批判にみる国際感覚のなさ。それらをひっくるめて、国民や国家にないして愛情が感じられない。

最後に三宅久之(政治評論家)の記事の中からの大敗の要因では、◎鳩山首相が母親と如何に没交渉だったかを説明するために、首相就任後1回電話しただけで病気見舞いにも行っていないと言ったが、それが本当なら人間としてなっていない。◎小沢幹事長の不動産疑惑の時に、原口総務相がテレビ報道に注文をつけたが「成権」的発想。また千葉景子法務相の「指揮権」関連発言は権力不感症。民主党は子どもが銃器を弄んでいるように「権力」にはしゃいでいる。
この様に民主党の問題点を列挙すると“参院選は民主党大敗”が見えてくる?如何なものか。
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鳩山政権~半年 [閑話]

明日で、鳩山政権になって半年。報道各社(私の知る範囲では時事通信と毎日新聞)の直近
の内閣支持率調査では、「子ども手当」、「高校授業料無償化」等の目玉政策が可決されたにも
係わらず支持率が下げ止まらない。鳩山首相がはじめて危機感を周囲に漏らしたという。
内閣支持率は、時事通信では前回・35.7%→30.9%、毎日新聞では前回・49%→43%
内閣不支持率は、時事通信では前回・44.7%→48.5%、毎日新聞では前回・37%→45%

「政治オぴみオン・http://www.imi.ne.jp/abc/opimion/new/pol/docs/sub1.html
では、内閣支持率の年齢別データを開示しているが、それによると、高年齢化するほど
鳩山内閣支持率が高くなることになっている。このデータは必ずしも信用できないが、
このデータによると、支持率調査結果を二通りに見る事ができる。
1つは、各社の調査結果が、サンプリングによって年齢的な偏りがあるために結果がばらつく。
もう1つは、変動幅もサンプリングにおける年齢的偏(かたよ)り のためという事になる。
調査サンプリング数が少ないために、高年齢者に偏った場合は、実際の支持率よりも多くなり
若年層に偏った場合には、内閣の支持率が実際よりも低めに出るという事になる。

報道各社で数値に相当の隔たりがある原因を推定したが、それにしてもこれらの数値から
鳩山首相が危機感を抱き始めた?というのが私には腑に落ちない。
私の感想では民衆が民主党や鳩山内閣に、今もまだまだ未練を残している人々、あるいは
まだまだ数字には明確に現われない隠れ応援団の人々が多い?と思われるのである。
また自民党の従来の首相たちは、もっと悪い支持率でも余り動揺しなかったではないか。

鳩山首相は、“もっと指導力を見せなければいけない”と思いだしたという。小沢幹事長の
操り人形と思われたくないということらしい。確かに、外交関係では岡田外相のいうことを
聴かなかったし、宇宙人と呼ばれるような様々なヘンテコリンな発言を繰返すなど、今まで
の指導力がお粗末だった事は明らかだ。しかしそれも『マルコフ保全理論』的最適化理論に
沿った首相の戦術だったはずだ。しかし、その戦術は判断の迅速性に欠けるだけでなく、
再帰性を発生させてシステムを不安定にしてしまうだろう。今更、慌てても国家を指導して
いく指導方法を右から左に簡単に取替える事など出来ない?カネで国家の指導方法を買う等
できない相談である。内閣のお神輿に乗っかって行く所まで行くしかない?
政治手法は不味くとも、「友愛政治」の真価があるなら何とかなるか?如何なものか。
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孫便り'10.03.14 [大家族]

20100313エプロン.jpgDSC0056920100313ホワイトデー.JPG今日はホワイト・デー。娘や孫達への贈物のお礼の写真が送られてきた。ささやかなものだったが、みんな(娘二人、孫娘三人)大喜びで電話をくれた。一人で写っているのはnatsu。二人で写っているのは次女とkoto。中2のharuは、今日バレー部の先輩を送る会(会場風景)。20100314送別.JPGnatsuは、昨日バレー部のお別れ会で送られる立場。それぞれ新学期に向けて忙しい。haruは中学の最上級生でnatsuもいよいよ中学生だ。二人共、私の身長を越しそうな勢いだ。
今日はコウタロのパパの誕生日である。コウタロのサッカーの試合もあった。
昨夜は「いいプレイがパパへの最高のプレゼントだよ。」なんて話して
今日は見事にドリブルであがってゴール決めてパパ感激 (ToT)。
ついでにもう一本決め、今日はパパの最高の誕生日!

また今日は次女たち一家の住む横浜K区のロードレース大会の日。家族全員で参加した。写真は、大会に参加したryuとその仲間たちの写真である。
20100314ロードレース.JPG20100221half.jpg





また公園で走っているのは大会に向けて練習中のkotoの雄姿である。Ryuは参加資格の出来た小1の時、即ち、2007.03.11の大会の時に、初参加の申込をしていたが、大雨の為に中止になった事は2007.03.13のブログ「孫のこと・横浜時代のこと」で書いたことを思い出した。その後、いろいろ事情があって今年が始めての家族全員参加の申し込みという事になった。
ところがその後、珍しく孫たちが風邪にかかり、ロードレース参加も一時危ぶまれた。
回復後も、ロードレース参加の判断は微妙だったのではないかと思うが、無事、全員完走したという。実に目出度い!
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希望の物語はあるか? [物語]

昨年の衆院選挙で民主党が圧勝し、連立によって衆参両院の過半数を制したことが、私に
とって大変意外であった。その上、数の論理で今までとは異質な政策実行や、政治作法に
違和感を覚えて、民主党、および鳩山政権を批判してきた。

親の面倒をみるような、いい年頃になっていながら、まだ母親の細いすね(見かけは細いが
内実は極太?)をかじるだけでなく、第二次世界大戦後の対応では篤い恩義を蒙りながら
恩義知らずに、「普天間問題」、「核密約問題」を仰々しく騒ぎ立てる。
人類の滅亡に向かう資本主義、産業主義の欠陥を助長する様な利己心を掻き立て選挙民を
利益誘導する政策の数々を、臆面も無くとり上げるなど、世界や、日本を何処に導くのか?
大いなる不安を感じさせる。このままだと、戦前と同じように、中産階級の貪欲さのために
大多数の庶民が犠牲になるような悲劇を予感させる。しかし現代は情報化が進み、庶民も
独裁体制を嫌えば、既得権者の貪欲の暴走は防げる可能性はある。

そこで、楽観的な見方によればどのような希望が見えてくるのか?考えてみた。
先ず、西洋の思想とは異なる日本人思想の特徴である多様な思想の同時的・空間的雑居性を
全面的に肯定するところから出発する。日本人は、様々な事象や考え方を潜在意識の中で
蓄積しながら、いざという時に直感的に閃いた判断で行動すると考える。西洋的論理的判断
ではない。戦前、あのような悲劇的戦争を行い、敗戦したのは日本人の総意ではなかった。
現代日本人は現代化によって外見上は様変わりしたとしても、いざという時には、日本人思考
による潜在意識からの直感によって、それなりに有効な判断を下すだろうと推定する。

また米国であるが、敗戦後の米国の占領政策は、日本人にとって耐え難い思いをした人も
居るだろう。しかし米国は、日本という国に夢と希望を持っていたから、相対的に見れば
温情ある占領政策であったと考えれば、今回の「普天間問題」、「核密約問題」も穏便に
済ませられる可能性がある。人類の滅亡に向かう資本主義、産業主義の問題を解決する為に
日本人を重要なパートナーと考えるならば、妥協してくれるという大胆な推定も成り立つ。

最後に、日本人の潜在意識を信じた場合の今夏参院選の楽観的見通しは、与党過半数割れ
公明党も減少し与党入りせず野党側の過半数になり、民主党独裁を阻むという結果になる?
衆議院と参議院のねじれ現象こそ、希望の物語の始まりではないか?如何なものか。
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再帰性と起承転結 [社会]

一昨日の積雪以来ますます冷え込みがきつくなって来た。今日等は快晴にも関わらず
深々と冷え込み真冬並みの寒さである。“奈良のお水取りの頃は寒い”と母が言っていた。
今年は、その言葉がピタリと当てはまる。 ○ 底冷えで 母思いだす お水取り
明日は奈良の東大寺・二月堂のお水取りである。

昨日発売された「文芸春秋」4月号の塩野七生が書いた“「密約」に思う”の内容は、
私が「核密約問題」における民主党のやり方に対する批判で、言い足りなかった事を的確に
言ってくれている。学識というものはこういう風に使うものだと感心した。
塩野七生は、第二次世界大戦で同じ枢軸国として敗戦したイタリアを例に、文明論や国際法
が通用しない戦争というリアリティをまざまざと再現してくれた。現代でも言えるが、
法治圏を越えた武力発動(他国を先制攻撃すること)は、元々、国際法や文明論を無視した
行動であり、そういう行動をする集団を裁く場合、国際法や文明論を素直には適応できない
のは、当然ではなかろうか?この記事を浅薄に読むと戦勝国側が、全く弱肉強食の人非人の
ように思うかもしれないが、それは先制攻撃した行動がどれ程利己的なものかを忘れている。

戦争反対を強調する人は多いが、この先制攻撃が、いかに自己中心的利己心の塊であるか
を、深く反省しない限り、また戦争を仕掛けないとは限らないのである。「核密約問題」を
忙しい時に取り上げる価値があるのか?と私は度々繰返したが、この記事はその答について
“今「密約」問題を取り上げてトクすることがあるとすれば、全員が現実を直視すること”と
書いている。この答は「核密約問題」を取り上げる必要性の無さを強調しているのでは?と
私は敢えて言いたい。私がブログ‘2009-11-23:続2・たこ壷社会’等で度々取り上げた様に
“起承転結”サイクルで、今や日本社会が現実から目を逸らしている時期に差しかかっている。
日本人全員が現実を直視する必要性は、「密約」等によらず、既に明らかなのである。

然るに、「核密約問題」を取り上げた結果は、塩野七生が指摘する方向とは全く反対である。
現実を捻じ曲げ、問題を他人のせいにして、民主党が、いかにも立派な仕事を成し遂げたと
思わせるように、ことは運んでいるのである。世の中の動きは、世論調査や、経済指標など
様々なデータがあって可視化されているように見えるが、現実は、診断書だけあって人体は
見当たらない状況と同じである。実態は分からない。だから再帰性が発生して大きくうねる。
このうねりを破綻させない範囲で押さえこまないと大変な事になる。如何なものか。
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歴史閑話'10.03.10 [歴史]

私は最近、エーリッヒ・フロムの書物を読み返す機会が増えた。彼の様な立派な人間ではないが
私と似ている所がある。ある本で彼は曽祖父のことを例にしながら自分の青少年時代の感覚を
語っていた。曽祖父は貧乏な商人だったが、ユダヤ教のラビに匹敵する偉い人だったらしい。
いつも店番しながら勉強していたが、店に客が来ると不機嫌に「他に行く店はないのかね?」と
不満そうに言ったという。少年フロムは、そういう家庭環境だったから、近代という時代には
そぐわなかったらしい。私の曽祖父も百姓だったが、畑でミミズを切ったと言っては、仏間に
こもって一日お経を上げていたという。勿論、私に聞かせる目的は、曽祖父が怠け者だった
という訓戒談だったが、語る親族達の曽祖父への敬愛の念は隠しても伝わってきた。

私は、戦争直後の米国直輸入の民主主義教育を受け、その理想と現実を一緒くたに受け取り
曽祖父的中世的雰囲気と、近代のハザマで生きてきながら、その分裂の修復を考えていた。
人類の混沌とした歴史の中で、西欧の近代化は壮大なロマン(或いは幻想?蜃気楼?)を生み
だした。しかしそれは西欧ならばキリスト教的道徳、日本なら儒教的仏教的、或いは武士道的、
または「人様の目」を意識した道徳によって、人間が利己主義に陥らないことが前提だった。
近代化の壮大なロマンは西欧では既に20世紀初頭から、日本でも三丁目の夕日時代から崩れ、
西欧では20世紀半ば、日本では、20世紀末から決定的な崩壊の道を辿っていると思う。

近代化の夢は既に第一次、第二次世界大戦で消えている?更なる破局に向かっているのでは?
フロムは、この様な破局を予想しながら、破局回避の選択をしない理由を幾つか挙げている。
その1つが、指導者達が破局を避けるために、何か有効なことをやっていると見せかける事で
指導者側も民衆側も良心を麻痺させて、自分達の置かれている現実から逃避しているという。
2つ目の理由として人々に要求される生き方の変革が余りにも極端なので、変革の厳しさより
将来の破局を選ぶという。3つ目は、指導者達が社会的責任より個人的成功を重視すること。

私は、自民党の小泉改革は上記の回避理由ではなく破局回避対策の方向に沿っていたと思う。
その後、安倍、福田、麻生の内閣は若干改革修正路線だったが、それが裏目に出て政権交代
になった?或いは民衆の利己心?民主党は、破局の回避選択をしない理由の第1に当てはまる
と思う。“子ども手当”、“事業仕分け”、“連休組み換え”等のスタンドプレーは指導者の個人的成功
を重視している。それを正当化するために戦前の日本軍やイスラム原理主義者、或いはヒトラーの
ように独善的・狂信的な理想を偶像崇拝する方向ではないか?如何なものか。
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子ども手当再々考 [希望]

午前中に2010.03.06のブログにもらったコメントに返事を書き込みながら、
私が「子ども手当」にあくまで反対する理由が自分の中で、より具体的に分かってきた。
勤めていた頃に、第3子から月3千円程度?「育児手当」を勤務先から、就学までの数年間
もらった経験がある。勿論、それは手当があるから生んだのではなく、生れた後で制度が
出来たのである。数千円でも収入が増えれば生活が楽になるし、拒否はできない。そこに
人間にとって重要な働きをする社会制度にも、大きな罠があるのだ。

社会制度は、一人一人の人間に降りかかる大きな危険を和らげたり、回避したりするために
出来たが、そうする事だけで人間に平和や幸福が訪れない事は、明らかではないだろうか?
現代のお金持ちや芸能界の成功者を見ても、その成果を生み出す努力の過程で、人間的に
成長しなければ、人生に対する理解が深まらなければ、実に惨めな結果になる事は、日常的
ゴシップで、明らかであろう。それにもかかわらず、そういう努力を伴わないで金や名誉を
欲しがる事は、不幸を招くだけである。社会制度が人間を幸福にするのも、不幸にするのも
そこに生きる人々の心掛け次第、生きる姿勢次第だということだ。

私は日頃、人間が育つ上で備えるべき能力の中で、最低限であると共に、最重要なものは
“避けられない運命に対する態度決定の責任能力”だと考えている。何時の頃からか
この信条が私の生きる姿勢、生き様を決めてきたように思う。
「避けられない運命」の最大のものは自分の“死”だ。その現実を忘れ、幻想の中で
生きようとする者達がヒトラーの様に社会制度を弄ぶ事によって、自己の幻想を更に強固な
ものにする。そのような世の中に翻弄されないためには、現実を見失わない事ではないか?

昨夜来の雨がいつの間にか雪に変わり、朝外を見ると銀世界。この冬チラチラ程度の雪は
降ったが初積雪ではないだろうか?最大3センチ程度は積もった。気温の日別平年値は確実に
上昇しているのだが、時に寒さが戻る時、暖かさに緩んだ身体には寒い最中よりも心理的
体感的に、余計に寒さが身に沁みるのではないだろうか?景気・不景気も、気温の変動と
似ているのではないかと思う。リーマンショック不況の底から麻生内閣の頑張りで景気は順調に
回復していたのに、動揺して現実を見失い大局観のない判断を下した結果が政権交代で
あったと考えたくなる。各人が、基本的視点から、現実をしっかり見定め今年の参院選で
“避けられない運命に対する態度決定の責任能力”を発揮して欲しい。如何なものか。
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国際婦人デー100周年 [思い出]

今年で国際婦人デーが100周年を迎える。1904年(明治37年:日露戦争勃発)3月8日の
米国婦人参政権運動を記念して、1910年にデンマークで行なわれた国際社会主義者会議で
「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日としたことが始まりであることは
昨年の同日のブログでも書いた。1910年(明治43)には、個人的に特別の思いがある。
今年は亡き母の生誕100周年でもある。母は私が社会人になって間もない頃に亡くなったが
日本女性解放の歴史を、母の一生と重ね合わせて見るとき、それは机上の空論ではない
生々しい様相を呈してくる。母は、同世代の女性としては極一般的な人だと思うだけに
“日本女性解放の100周年”という言葉には、多彩で奥行きのある状況が見えるのだ。

女性解放の問題は、参政権や男女機会均等などの形に現われるものよりも、無形のものに
難しさがある。男女の区別ではなく男女差別は、我々の生活の中に深く根ざしているから
明確な意識もなく相手を傷つける。傷つけられた女性が強くて強力なコミュニケーション能力を駆使
できれば、現代では道を切り開いて行けるだけの様々な法的整備は日本でも出来ている?

昨日の「特上カバチ」というドラマを、ひょんなことから初めて見た。
今回のキモは、セクハラの定義。“セクハラは被害者の主観で決まる”ということだ。
新米の田村 (櫻井翔) は、安易な自分の解釈でセクハラの被害者に迷惑をかける。
この件は、田村の必死の努力で、何とか一件落着となるが、被害者は退社することに。
所長の大野勇(中村雅俊)は、依頼人の気持を汲めなかった田村に「人間失格」といった。

所長・大野の求めるような行政書士であれば、平凡な日本女性の解放を援助できる。
しかし、それは今でも理想論に近いのではなかろうか?
昨日の「特上カバチ」というドラマは、日本の風俗・習慣上、女性に不利な‘セクハラ’を
題材にして、平凡な日本女性の更なる解放の必要性を物語っているように思う。

男女共に、強くて能力があれば、多少の荒波にもくじけることなくまた再挑戦していける。
今回の「特上カバチ」のセクハラをはじめ、女性解放問題、いじめ、若年ホームレス等
様々な問題に不可欠なのは、大仰なパフォーマンスやスタンドプレーではなく、強者の側の優しさ、
共感ではないか? 金持ちが札びら切って自己の力を誇示し、またそれに追従して余禄に
預かろうとするさもしい強者の群れが、平凡な人々の不満を誘うのである。如何なものか。
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消防記念日に思う [社会]

ここのところ、よく雨が降ると思ったが、この一週間、雨は1,4,6,7日に降っただけ。
当地は雨が少ないから、これでもよく降ったと思ってしまうが、一日中ではないから
今日も雨の合間を縫って散歩をし、チャッカリとスロージョギングもこなした。
今日は、消防組織法が施行されたのを記念した消防記念日で、同法施行2周年を迎えた
昭和25(1950)年に設定されたそうである。
消防組織法の精神は、「消防が市町村の責任で運営、管理される地方自治に徹した精神」
であり、「消防関係職員及び住民、各々の責任と権利と義務において、水火災その他の
災害から保護しようとする」法律として期待されていたという。

そこで八ツ場ダムであるが、これは「水害」防止のための治水目的も含むダム工事では
なかったのか?その大義名分があるからこそ、広域にわたる問題として、地域の反対を
説得して着工したのではなかったか?
そうであるならば、前原国土交通大臣が、地元民の意見を聴く事もせず、ダム工事中止を
マスコミを通じて公言した事は、明らかに越権行為であると言える。3月4日の国会中継で
脇雅史(自民)議員が、八ツ場ダム工事中止宣言を、政治を私物化(法律に則らない)して
行政をほしいままにしていると追及していたが、法的手続きの問題だけではない。

民主党は、国民や地方自治を何だと思っているのだろうか?国民は、自分達の生活圏で
地域の事、もっと広い領域、日本、世界のことを考えながら必死に生きている。ダム工事を
止むを得ぬと判断したのも、様々なことを勘案して決断したことだ。その苦渋の決断を
マニフェストに掲げて政権交代したからと中止宣言する。マニフェストに掲げる前に地元に
了解を得ていたなら良いが、宣言した後に地元民から異論が出たのはどういうことか?

厄介な事だけ地方に押し付けて、自分達はスタンドプレーで権力を掌握しようという見え
透いた魂胆が、八ツ場ダム1つとっても明らかではなかろうか?消防法で地方自治として
水火災その他の災害に対するそれなりの責任を担ってもらっているならば、地域の意見を
無視した形でダム中止宣言をするのは、民主主義を蔑ろにした政治の私物化に他ならない。
脇雅史(自民)議員の質問に対して民主党の議員達から重箱の隅を突付く様な問題だと
野次っていた。前原大臣のみならず民主党は、政治を担う資格のない国民を欺く政党である
事は明らかではないか? 付和雷同の政治家集団は百害あって一利なし。如何なものか。
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