SSブログ

鳩山施政方針に思う [社会]

昨日,鳩山首相の施政方針演説を散歩途中の休憩時に聴きながら何か空しさが胸をよぎった。
それは何故だろうと考えていた。素晴らしい理念がこれでもかこれでもかと詰め込まれている。
今朝の新聞でも美辞麗句と揶揄されていた。そういう事も空しさの中には含まれているだろう。
しかしそれは、こういうものに有り勝ちのことで今までは見過ごしていた。
それなのに、今回の鳩山首相の演説に引っかかるのは何故なのか?少し整理してみた。

理念先行で具体策に乏しいという指摘に,私は政権を執って間のない政府として止むを得ない
(本来なら政権交代しなければ良かったが)と思う。理念先行の政治はその中身によっては
決して悪くはないと思う。ガンジー師の「七つの社会的大罪」を引用して,日本のあり方を説いた
ことも理念として間違っているとは思わない。しかし問題は、鳩山首相の口から発される時に
それは具体的経験に基づかないものと言わざるを得ない。

曰く、「労働なき富」。これを日本のあり方の重要課題と位置づけるなら、先祖の遺産でノウノウと
生きてきた鳩山氏自身が国家の最高責任者になっているのは、最大限のパロディであろう。
現代日本においては、「労働なき富」こそが、最高の美徳だからこそ、既得権者が“不労所得”を
漁りまわっているのだろう。「子ども手当」も、そういう日本の美徳を助長するために、ひと役かって
いるのではなかろうか?子育ては、「労働なき富」を否定するような両親、家族、親戚、知人に
見守られ育てられてこそ、ガンジー師の高邁な理想に近づく日本になっていくのではなかろうか?
現在の日本が、何故子どもを生まないのか?その原点に立ち戻った議論に基づかないで、
安易な党利党略のために「バラマキ手当」で子どもをつくって、本当に鳩山施政方針演説の
理念に基づく日本になるのだろうか?

曰く、「人格なき教育」。十数億ものお金の授受がありながら、一言の連絡もなかったという。
それが人格者母子のすることなのか?“人格”とは“人としての資格”、その根本は“共感”では
なかろうか?十数億ものお金が庶民にとりどんな意味を持つのか?そういう“共感”があるなら、
仮に母子間或いは秘書と全くコミュニケーションがなかったとしても、知らなかったとは恥ずかしくて
言えないだろう。庶民への共感もないから自己保身のためにいえるのではないのか?
そういう人が、「人格なき教育」は“悪”だと言っても、誰も本気で頑張らないのでは?
具体的経験に基づかない抽象的な論理で「理想主義」を掲げ政治を欲しい侭にする時、健全な
庶民の道徳心は影を潜め、既得権者の「七つの社会的大罪」が闊歩する? 如何なものか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。