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政治家の罪と責任論 [社会]

一般に人が罪を犯したときの責任には、3つの側面があると考える。3つの側面とは、
法律上の責任、社会上の責任、道徳上の責任。法律上の責任の審判者は裁判所である。
検察の立証によって罪が確定し刑罰が下される。社会上の責任の審判者は一般民衆だ。
例えば依存性薬物の不正所持等の有名人は、法律上の罪のみならず、社会的な
影響を考慮した活動自粛などをする事が、社会上の責任に当たる。
道徳上の責任の審判者は、罪を犯した本人自身の良心である。

罪を犯しても、法律上「故意」と「過失」では大きく異なり、重犯罪でない場合には、
「過失」は原則処罰されないと、法律上では決められている。
鳩山首相の“偽装献金問題”は、明らかに「故意」があると立証されるから、犯罪は成り立つ。
しかし、鳩山首相は、「秘書が勝手にした事で、私は知らなかった。」、と「故意」がない事を
主張し、法律的に罰せられない安全圏に逃げ込んだと、安堵しているようだ。母親からの巨額の
脱税を伴った贈与も、ご本人は関与していないということで、これも‘安全圏’という訳だ。

元々、法律における“「過失」は原則処罰されない”という事は、国家権力が、恣意的に民衆を
罰しない様、国家権力から民衆を守るためのものである。本来、国家権力の中枢の者(政治家や
高級官僚)は、民衆の平和と幸福を守るために、一般民衆とは異なる法体系であらねばならない
のではなかろうか?鳩山首相の“偽装献金問題”は、見つからなかったら巨額の脱税がなされて
いた。小沢幹事長も、何年にもわたる取調べの中で、度々、出鱈目を言いながら、取るに足り
ないミスだと言張っている。鉄の軍団を率いて権力を掌握できれば法律に引っかからなければ
何をしてもいいという論法か?いかがわしい会計処理で軍資金を増やし軍団を増殖させている。
鳩山、小沢共に、政治家としての社会上・道徳上の責任は重大である。

現代日本社会は様々な問題を内包しているが、それは自由競争社会か?社会主義社会か?と
いったイデオロギー論争の問題ではない。重要な問題は非常に内面的な心の問題である。現代
日本社会では、そういった精神的な要求に応えるものがない故に、子どもや若者達だけでなく、
成・壮年までが物欲に走るのである。それを改めるために、そのような精神的な要求に応える
立場の首相や与党幹事長という最高権力者自らが、相も変わらず社会上・道徳上の責任に全く
感受性なく、現状の精神的改悪方向の卑態を曝し恥じる気配もない。民衆を物欲で釣って、何処
に連れて行こうというのか?この国をまた破滅の淵に沈ませようというのか? 如何なものか。
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