SSブログ

文化資本と普通の国 [社会]

身近な人々との議論の中で、自分の意見が論理的に劣勢になると、“普通の人ならこう言うに
決まっている”、或いは、“普通の人なら分かるはずだ”等という表現を無意識にする人がいる。
この場合の‘普通の人’とは何か?そういう事が素直に理解できる日本人は多い。日本人は、島
国育ちで無意識の内に身に付けた「阿吽の呼吸」という日本特有の文化があり、日本人同士では
説明しなくても理解しあえることが無数にあるのだ。私も日本人だから、‘普通の人’についてほぼ
察しは付く場合が多いのだが、意識化するために、敢えて説明を求めたりする。

先日のブログ「2010-01-12孫と二十歳」にとり上げた若者達の会談も、日本的文化資本を身につ
け、実に見事なものだった。会談の成果自体もあったろうし、参加者それぞれにとっても有意義な
ものだったろう。日本社会で生きていく上で、彼らは立派に成人しているのであり、何もいうこと
はない。敢えて言うなれば、今後は無意識のうちに身に付けている日本文化資本を意識化して
欲しい。そして上流志向ではなく格差社会のリアリティを直視し文化資本の貧しい階層の人々に
日本の豊かな精神的文化資本を継承して欲しい。

グローバリゼーションは、同質化することでも、差異を強調する事でもない。個人・組織・地域・民族等々
の様々なレベルでの文化資本が、互いの異質性に創発されて創造的に高次レベルへと変容し、更に
心豊かで平和な社会、世界へと発展させることである。ブログ「2009-11-23続2・たこ壷社会」で
日本社会の変化を“起承転結”で表現し、滅亡へのシナリオの要因をリアリティの喪失とした。
リアリティの喪失には、無意識的日本文化の意識化の欠如も含まれる。滅亡への道を歩まない
ために、無意識的日本文化の意識化を忘れないでもらいたい。国際関係で、指導的立場の人が
無意識に日本人の察しの文化を悪用するような発言や文章は、悲劇を生む要因になる?

小沢幹事長の著書「日本改造計画」を開くと、‘第二部 普通の国になれ’という章が目に飛び込ん
でくる。日本人は、“普通”という言葉が余程お好きな様である。そこに書かれている‘普通の国’
とは、自国軍で守る国、という事のようだ。自衛隊を国連待機軍として提供すれば、憲法9条に
第3項を追加するだけで済むという。基地の問題ではリスクを負わず、自国軍でリスクを負うべき
だということか?傭兵(米軍のこと?)ではダメらしい。そして自衛隊が国連待機軍におれば
傭兵では無いという理屈になるのか?分かったようで、なかなか分かりにくい。
ブログ「2010-01-11閑話・個性化」で紹介した様に、米国は日本が推し進めたい「新安保宣言」に
伴う憲法9条改正問題を逆に心配してくれている。米国の後押しで憲法改正をしたいのか?
小沢幹事長の描く日本の将来像は、どう見ても‘普通の国’ではないのでは?如何なものか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。