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孫と二十歳 [大家族]

20100106岡山城2.jpg孫達は、先週後半から学校が始まったらしいが、Koto(小学校1年)のママから、写メールが送られてきた。冬休みの宿題で提出した絵日記である(写真参照)。決められた用紙に一日分だけ書くということという課題があり、それに納まるように、大変な苦労をしたらしい。何日をテーマにするかで、ひと苦労した。文章の部分は、「大みそかの日にいとことおじいちゃんおばあちゃんのおうちにいきました。おか山じょうにもみんなでいきました。おしろに人がすんでいるみたいに見えました。」と書いてある。日付は12月31日木曜日。句読点が省略しているところがあるが、これは文章を収めるための非常手段だろう。絵は更に苦労したらしい。石垣が特に気に入ったらしく、下から書き始めるので、最後に頂点の屋根が用紙からはみ出すために何度も書き直したという。

今までお城に連れて行った事がなかったということで、お城の初体験がKotoの深層心理に、インパクトを与えたのだろう。“おしろに人がすんでいるみたいに見えました。”という結句は、チョッと我々には想像も付かない独創的かつ素晴らしい発想ではなかろうか?(まさに爺ばか?)
寒い中、皆揃ってお城と後楽園を見物にいった甲斐があった。

さて、私の孫たちも大きくなって成人式まで最短で6年、Kotoまでで13年という事になる。
そこで、急に現代の若者がどんな考え方をしているのか?気になりだした。「文芸春秋」2月号に“「10年後の日本」復活のシナリオ 二十歳の若者が語る明日”という記事を読む時に、孫たちが成人式を迎える頃に、どのような人に育ってほしいか?という観点から各人の背景と意見を読んでみた。出席した6人の男女の内訳は、男:4人(アイセック、美術2、ブレイクダンス)、女:2人(NPO/民主党議員応援、アイセック)。出席者の1人(C君:ブレイクダンスが得意な人)が「ここにいる6人は若者代表じゃない。エリート」というのは当たっていると思った。彼らの幾つか気になった発言とその短評を行ってみた。皆さん、これからも成長していくことを期待したい。

A君“今の世の中はメチャ暗いのだろう。”:今の世がメチャ暗いなら1945年前後は何と呼ぶの?
B君“「お金がすべて」みたいな人はいなくなる” :そうなれば良いと私も心底思う。でも?
C君“表現できる場をつくっていくことが大切”:素晴らしい発言だと思う。まさにエリート!
出席者は皆、孫達になってもらいたい人物像に近いが、レベルが高すぎる。爺バカでも高望みできない。ただA君の一連の発言を読むと、40%位、こういう風にはなって欲しくないと思った。エリートにはならなくても良いが、歴史や伝統を心の深い所で受け止めて欲しい。如何なものか。
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