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バランス感覚 [物語]

スロージョギングの再開宣言をして昨日で2旬目を終えた。戦績は六割丁度。時間は365分。
戦績は1日30分以上実施した日をカウントしているが、時間で言えば12日分以上になる。
年末年始で忙しい割には良くがんばったというところだが、バランス感覚から言えば問題か?
昼食時に、NHKの「スタジオパークからこんにちは」に、余 貴美子がゲストで出演していた。
チョッと気になる女優さんだが深くは知らなかった。父親が台湾人で母親が日本人という。
横浜出身、神戸にも住んでいたというから、中華街の出身かと勝手な想像をした。
彼女から、「出会い(えにし)を大切にする」、「雨露が凌げる家に住めて感謝」というような
大女優に似つかわしくない言葉が随所に出てきたことに、少なからず私は驚かされた。

話は変わるが、2001年に行ったセミナーを編集して作った「日本人とグローバリゼーション」と
いう本(河合隼雄・石井米雄)がある。その中で、昭和20年8月15日を境に、日本人がポカッと
変わったことをとり上げている。そのお陰で近代化も戦後の復興も出来た。それはいい面だ。
しかしその背景に、梃子でも変わらない日本人の体質が無意識的に存在し続けている事に気付
いていない。河合隼雄は、“資本主義が社会主義に勝ったのは正しかったからではない。異質な
ものを取り入れる努力をしたからだ。” 、“正義の味方は自分が正しいと信じているから全く反省
しない。これが一番怖い。”、“好ましいグローバリゼーションは自分を限定せず、世界にいろんな
考え方があることを分かった上で自分の役割を果たすこと”と言っている。自分を限定せず、
バランス感覚を維持する事に限界がある日本の現れの1つが、普天間基地問題?

この河合隼雄の言葉を借りて日本集団を表現すると、“それは隠れた正義の味方であり、広さは
あるが自分を限定し、異質なものを取り入れる事に限界がある。”、ということになる。それを
噛み砕いていうと、1.日本の集団は反省をしない。2.結局は自分が正しいという事になる。
NHKのテレビ小説「ウェルかめ」で、医者を目指す果歩が失恋し、出会った彼氏の記憶を消し去る
という場面があった。痛みを伴う記憶を消し去りたい気持は分かるが、その痛みを堪えて、
もう一歩踏み込んで反省してこそ、人間として成長するのではないか?
3.日本集団は閉鎖社会(たこ壷社会)であり、その外の人は‘旅の人’、‘よそ者’。
「出会い(えにし)を大切にする」余さんは、異質なものを受け入れる覚悟があるのでは?
また異質なものを排除するとしても、それに伴う反省をする覚悟があると思われるのである。
「雨露が凌げる家に住めて感謝」という言葉には、半分はよそ者である余さんが、日本集団の
異質性を大きく包み込んで、美しく生きて行くという決意が顕れている? 如何なものか。
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