SSブログ

国際感覚 [物語]

「今年の日本の課題を1つだけ挙げよ」と言われたら、私は、“国際関係”と応える。
2009.11.23のブログ「続2・たこ壷社会」に、明治維新から第二次世界大戦の80年間を
起承転結であらわしたが、これを国際関係として捉えると、
起:明治維新(1868)~大日本帝国憲法発布(1889)、国際化に向けた素晴らしい頑張り
承:大日本帝国憲法発布(1889)~日露戦争講和(1904)、自立に向けた頑張り
転:日露戦争講和(1904)~金融恐慌(1927)、日本人的あきらめの美学
結:金融恐慌(1927)~第二次世界大戦終戦(1945)、現実認識の欠けた滅びの美学
という風にも考えられるのではなかろうか?

今朝の朝日新聞に“国際化と日本”という課題に、ピーター・バラカン氏(Peter Barakan
1951年ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科卒業後、1974年に来日。ロックなどの豊富な
知識を活かして現在フリーのブロードキャスターとして活動。日本在住35年)の、
「開いた社会 対話から」と題した記事が載っていた。‘開いた社会’はカールポパーを
‘対話’は、中島義道の著書「<対話>のない社会」を即座に連想させてくれた。

この記事で最も私が気になったのは、カタカナ英語に関する彼の指摘だった。間違いを指摘
したときの日本人(テレビ局等)の対応が、「決めたことだから変えられない」等と“日本人同士
でわかるのだから間違って何処が悪い”という態度・論理であり、高慢ではないか?との指摘。
この辺に、たこ壷社会日本の本音が顕著に現れている。
ピーター・バラカン氏は日本在住35年だから、テレビ局の人も最早、彼を‘旅の人’、‘よそ者’と
してではなく、仲間内だという気安さから出た言葉であろう。しかしその根は深い。

戦後、必死で欧米に追いつき追い越せと頑張ってきて、日本も外国と対等に付き合えるのだと
思い込んだ途端に、‘内’、‘外’の距離感、現実認識が、忘れ去られてしまうのである。
ピーター・バラカン氏を‘旅の人’、‘よそ者’として扱え!と言っているのでは無い。
彼の指摘に謙虚に耳を傾ける姿勢、正に題名の「開いた社会 対話から」が大切なのである。
彼の指摘は、図らずも日本社会が今もなお、‘内’、‘外’で分け隔てする社会であることを
露呈した。追いつき追い越せの緊張感の解けた日本人は、集団として自己の本質を見据える
事に疲れ、相互の対話もウザッタクなる。そしてあきらめの美学となり、国際感覚を失って
国内の強烈な権力志向の集団に騙され、滅びの美学へと傾斜して行く? 如何なものか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。