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大きな政府?小さな政府? [希望]

今朝の新聞に鳩山内閣が、閣議決定した来年度予算案が載っていた。過去最高の92.3兆円、
新規国債発行額が歳入を上回るという。自民党政権に比べて、進歩しているのだろうか?

個別の政策では従来よりも良い所はあるのだろう。コンクリート予算の大幅カットは良かった。
しかし社会福祉も子ども手当もふくらみ、結果的には、超大型予算では、ガバナビリティ有りや?
勝間和代の著書によれば、家族・子ども向けと高齢者向けの公的支出が、先進国の中で異常に
少ない。また教育レベルが親の所得階層で決まってしまう社会になっているという。
保育園等の不完全さなどは、その最たるものであろう。だから子ども手当の丸投げで良いのか?
10代の若者の調査で、「今の日本は、努力すれば誰でも成功できる社会だと思うか?」という
質問に、そう思う:24.0%、そうは思わない:74.8%、答えない:1.2%だという。

子ども手当が支給されたら、この質問に対する答えが変わるだろうか?私は、No だと思う。
私は昨日、「偶像崇拝」という言葉を使ったが、勝間和代は、著書で「リスク管理」という
言葉を使って説明している内容と通じるところがある。

人間は、古来より、事故、病気、災害、飢饉などによって常に危機に曝されていた。だから
現世利益、来世救済を望み、宗教が盛んになった。しかし戦争に負けて惨めな結果になる。
それは間違った宗教(或いは支配者)を信じたからだと、「偶像崇拝」を排斥した。
段々、世の中の蓄積によって、余裕が出来、科学が発達し、民主的資本主義の世の中になる。
そこで国家によって行われるリスク管理は近代化当初は先進国がリスクを他国に押し付ける
即ち、他国の富を吸い上げるという形でリスクは管理された。しかし後進国も豊かになる。
金融危機はリスクが最早、どこにも押付けられなくなった事を物語っているのである。
既に、昭和初期(1920代前半)に経験したにもかかわらず、その後戦争等で大量浪費したため
また“ババ抜き”を始め、“ババ”をタライ回しにしていた。

これは、国家の「リスク管理」を過信、即ち「偶像崇拝」していたからではないか?個人が
「リスク」を避ければ避ける程、「偶像崇拝」に陥る。国家や組織を過信してはならない。
従って、個人は引き受けるべきリスクは負わねばならない。大きな政府は、共産国のような
一部の人間のみが肥え太り、滅亡へと導く社会になる。国家・政府の大きさは国民と分かち
合って適正に受け持つ「リスク」に見合った大きさでいいのではないか? 如何なものか。
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