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世間に媚びず [社会]

普天間基地問題は、ついに鳩山首相の居直り宣言に到達した。従来の経緯の検証だけを目的と
した作業部会の結果を待って結論を出すといいながら、結局来年5月まで引き伸ばすという。
これは明らかに、今回の小沢幹事長以下、600人に及ぶ大旅行団の中国表敬訪問、次期主席
といわれる副主席の例外的天皇陛下との会見という特別待遇を見せ付けるためだった?
明確に従来外交路線の転換を示すものであるが、普天間基地問題を絡めているところが掟破り
であり、日米外交関係を破綻に追い込む外交戦争を仕掛けたと思われても仕方がない。
米国は恐らくこの挑発には乗らず、辛抱強く構える事だろう。問題はその後である。
昭和初期の金融恐慌以降、日本は満州事変を起こし、上海事変を起こし、日独防共協定を結ぶ。

私が予感していた“滅亡への起承転結”の“結”の序幕が、切落とされたと考えたくはない。
日本社会の“転”の時期は、欧米社会と対等の立場になったと安心する。そこで価値観・倫理観の
先祖帰りが始まる。‘たこ壷’の中に沈潜するのである。今まで必死で欧米社会に追従してきた
意義が分からなくなるのである。我々には我々の文化があり価値観がある。なぜ米国にペコペコ
せねばならないのか?そうだ!対等に交渉すればいい!と思うのである。
従来からの交渉の経緯も、相互の立場の違いもかなぐり捨てて、自己中心的な視点から
自己主張をする。その背景には国民の熱い期待があるという理由があるから。
昭和初期の金融恐慌以降、軍部の暴走も、国民の熱い期待があったのではなかろうか?

2009.12.13のブログ「非合理と不合理」で荘子・外篇_天地篇の「つるべ」を使わないお百姓の話
を引用したが、その続きに次のような話がある。
“親孝行な子は親にお世辞を言わず忠臣は君主に媚びない。世間は親よりも権威があり君主より
も尊い。ところが甘言を弄して大衆の人気を集める輩が居る。世間に媚びへつらいながら身分を
飾り、自分では世に媚びへつらっていると思っていない。この様な人物こそ愚劣極まりない。”
2千数百年前の聖人は、既に民衆が最も尊い事を良くご存知であったのには驚かされる。しかし
それ以上に、世間に媚びへつらっていながら、自分では世間に阿っていると思っていない人物
こそ大バカという事を指摘しているのは鋭いといわざるを得ない。
現代は、この手の人物が繁茂しているが、それを資本主義のせいにしても始まらない。

世に媚びるのではなく、民衆を正しく導く事こそ政治の大道ではなかろうか?
そのためには先祖帰りして夢想に走ることなく、リアリティを取り戻すべきでは?如何なものか。
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