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自分を育てる② [希望]

今日は日本の第二次世界大戦開戦記念日であるが私の所持する暦には記載されていない。
自分達に都合のいい「原爆の日」は騒ぐが思い出したくない事は省みない?大戦開戦記念日を
かみ締めるのも‘自分を育てる’大切な要素であると思うのだが。思い出したくない事は抹消する
という日本人の通弊は‘自分を育てる’という視点から、余り好ましくない側面ではなかろうか?

さて昨日「現代は‘自分を育てる力’発揮の環境整備は出来ている。」と書いたが、いやそうでは
ない!従来の障害とは別の障害が出来て、環境整備は出来てないと考える人もいるだろう。
“カツマーブーム”(出版社の演出?)も地方では感じられないところをみると、‘自分を育てる’
目的あるいは方向というようなことで様々な悩みがあるのだろう。勝間和代 vs 香山リカ 対談等
が企画されるのもその現れであろう。‘自分を育てる’問題は人生永遠の課題?

‘自分を育てる力’を明確に説明できないが、‘欲望’、‘理想’、‘希望’、‘夢’、‘幻想’‥の様々な
要素が動機付けになるのは‘生きる力’と同様だ。‘生きる力’は生存することを目的とする点が
異なるとはいえ、現代で生き辛い人々の多くは、物質的な問題よりも精神的な問題の様だから
≒‘自分を育てる力’といえるかもしれない。即ち、‘自分を育てる’ということは、‘生きる力’にも
なるし、‘愛の力’にもなり得るという視点が大切である。

‘金’が沢山あっても生き辛いのは、麻薬に走る芸能人などの荒んだ私生活を垣間見ても明らか。
まして‘金’で自分を育てる等という事ができようはずがない。‘金’で壊す事はできても買えない
ものは‘愛’。‘自分を育てる力’は、‘愛の力’がなければ育たない。‘愛の力’は、自分を育てる
ことで得られる。大人になってから‘自分を育てる力’を持続させるには、今までの常識、文化、
習慣等々の先入感を常にひっくり返してみる事である。決して否定したり、拒否したりしては
いけない。そうすればますますそれらのものに潜在意識下で束縛される。

現代人はマスコミ情報に汚染され、また伝統を軽視する風潮の故に、かえって古い生活習慣や、
偏狭な文化の呪縛に絡め取られるのである。「KY」等が流行語になること自体、それを如実に
現している。‘人間関係の希薄さ’等というのも一種の先入観で、日頃、交流のある人間関係が
真の人間関係なのだ。“真”を入れるのは自分しかいない。何も大げさな行動や思い入れは
必要ない。自分が交流の中に“真心”を持てればいい。その積み重ねが、豊かな人間関係を
築くのではなかろうか?そして自分を育てるのだ。 如何なものか。
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