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‘Capitalism’批判? [社会]

マイケル・ムーア氏製作のCapitalism批判の映画が近々公開されるらしい。NHKの
「クローズアップ現代」で紹介された同氏の先鋭で激しい言論活動について視聴しながら、
米国の動的安定社会(いや今や動的不安定社会に近い?)の実態を見た思いがした。
日本においても、このような言論活動が行われているが、それらが社会的に影響力を持つ様な
社会的メカニズムに至っていない様に思う。マイケル・ムーア氏も当初は排斥されたようだ。
オスカー授賞式の発言でブーイングに曝されステージを降りた、というエピソードは、西洋の
動的安定志向、即ち対立関係の人間やグループも大きな枠組みで包んでいる事を示している。

正しい政治制度や経済制度が最初からあるわけではない。日本と西洋の違いは、より正しい
制度を追求する‘速度’であり、それが動的安定志向と静的安定志向の違いとなるのである。
今や、西洋だけでなく、中国やインド、韓国その他、多くの国々が動的志向に傾く中において
日本が静的安定志向を貫くには、それ相応の覚悟がなければならない。コペルニクス的転回、
発想の大転換が必要だと思うのである。

現在の日本は日本人の素晴らしい素質を育てるのではなくグローバリゼーションという現象に
振り回されて、マイケル・ムーア氏の指摘するような‘悪の資本主義’にのめり込んでいる。
戦後も「富国」を錦の御旗に効率第一主義になり、産業界はGMと同じ道を進もうとしている。
教育界は民主主義の本質を理解せず、明治時代と変らぬ猿真似文明開化を押し付ける。
本質は静的安定志向で‘察し文化’の日本の国は、お陰でズタズタに分断されて、子どもの
多くは‘孤独’の恐怖と戦っており、若い人々も同様であり、いい大人までが迷う有様である。

人間関係、連帯、絆、仲間意識、家族愛、隣人愛。この様な言葉の意味する内容は、人間なら
洋の東西を問わず誰しもが大切であることを知っている。しかしまた、それが時には‘束縛’と
なる側面もよく心得ている。大先生・福沢諭吉が「独立自尊」を提唱し、現代の勝間和代が
「インディペンデントな生き方」を実践しているのも、“絆”と“束縛”とのバランス感覚の問題で、
‘孤独’になることを望んでいるわけではない。
静的安定志向だと、このバランスの問題をこじらせると不安定になり、制御不能になって大きな
社会不安を起こし政治的に誤った方向に突っ込みやすい?或いは社会不安状態になった時に
日頃‘察し文化’で曖昧にして、政治経済の足腰が鍛えられていないので対応できない?票を
金で買うような‘子ども手当’政策は、‘悪の資本主義’の象徴ではないか?如何なものか。
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