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子ども天国?地獄? [社会]

今日の朝日新聞“私の視点”「自由に遊ぶ環境の再構築を」という仙田満氏の記事に感心した。
中学三年生の学習意欲調査や、ユニセフの「子どもの幸福度」調査等で、子どもの劣化状況を
客観的に分析した上で子どもの育成環境の貧しさを指摘している。育成環境の問題については
以前より娘から指摘を受けていた。我が家の孫達は、現代では恵まれた戸建住宅で、家の前の
道路も遊び場になっているが、ご近所迷惑の問題もあり、休日はコミュニティで各種スポーツ
大会、練習等で両親はヘトヘトになるらしい。

私の子ども時代は道路で軟式庭球のボールを使って三角ベース野球をやったものだ。人の家の
庭に入ったボールを取りに行ったり、窓ガラスを壊したりすることもあった?大人達は怖いという
記憶はあるが、“駆逐水雷”、“あの子が欲しい”、“馬乗り”・・・等、様々な遊びをしたものである。
あの頃には、大きなお兄さんから、おちびサンまで子ども社会が健在だった。
そういった子ども社会(コミュニティ)を如何に再生していくのか? その一つの回答として
仙田氏は、‘プレーパーク’という遊び場を提案されている。プレーパークにはプレーリーダと
いうお兄さんが常駐して様々な野外遊びを教えてくれる。遊びの楽しさ、友達、信頼できる
大人等を知る事で新しいコミュニティを形成できるという。

ある人の話では、公園での子どもの声がうるさいと文句をいうご老人がいるという。明治時代
には外国人に「子ども天国」といわれた。日本で最初に米国留学をした大山捨松が、大正6年
(1917)に、“近頃の若い娘達は欧米の教育の良い所を学ばないまま、日本女性の最も良い所
を失って残念に思う。”と書き残している。奇妙な一致点である。

「子ども手当」のようなどんぶり勘定の予算ではなく、鳩山政権は子ども社会の文化資本蓄積
のために予算化すべきである。その時に大切な事は、欧米の見かけを猿真似するのではなく、
その‘志’を読み解き、それを日本的文化資本蓄積へとつなげて行く事である。
諸外国に「子ども手当」が今だかつてないからといって、独創的政策でも立派な政策でもない。
こんなバカな政策を喜ぶほどの国民は他国にいなかっただけのことだ。たこ壷から見ていると
視野狭窄症になる。だからいつの間にか「子ども天国」が「子ども地獄」になっている。
日本的文化資本蓄積と、自国のリアリティを把握するためには、コペルニクス的転回が必要だ。
日本的文化資本の大切さと同時に、世界の様々な文化資本も同等だと悟る事だ。如何なものか。
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