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世間に媚びず [社会]

普天間基地問題は、ついに鳩山首相の居直り宣言に到達した。従来の経緯の検証だけを目的と
した作業部会の結果を待って結論を出すといいながら、結局来年5月まで引き伸ばすという。
これは明らかに、今回の小沢幹事長以下、600人に及ぶ大旅行団の中国表敬訪問、次期主席
といわれる副主席の例外的天皇陛下との会見という特別待遇を見せ付けるためだった?
明確に従来外交路線の転換を示すものであるが、普天間基地問題を絡めているところが掟破り
であり、日米外交関係を破綻に追い込む外交戦争を仕掛けたと思われても仕方がない。
米国は恐らくこの挑発には乗らず、辛抱強く構える事だろう。問題はその後である。
昭和初期の金融恐慌以降、日本は満州事変を起こし、上海事変を起こし、日独防共協定を結ぶ。

私が予感していた“滅亡への起承転結”の“結”の序幕が、切落とされたと考えたくはない。
日本社会の“転”の時期は、欧米社会と対等の立場になったと安心する。そこで価値観・倫理観の
先祖帰りが始まる。‘たこ壷’の中に沈潜するのである。今まで必死で欧米社会に追従してきた
意義が分からなくなるのである。我々には我々の文化があり価値観がある。なぜ米国にペコペコ
せねばならないのか?そうだ!対等に交渉すればいい!と思うのである。
従来からの交渉の経緯も、相互の立場の違いもかなぐり捨てて、自己中心的な視点から
自己主張をする。その背景には国民の熱い期待があるという理由があるから。
昭和初期の金融恐慌以降、軍部の暴走も、国民の熱い期待があったのではなかろうか?

2009.12.13のブログ「非合理と不合理」で荘子・外篇_天地篇の「つるべ」を使わないお百姓の話
を引用したが、その続きに次のような話がある。
“親孝行な子は親にお世辞を言わず忠臣は君主に媚びない。世間は親よりも権威があり君主より
も尊い。ところが甘言を弄して大衆の人気を集める輩が居る。世間に媚びへつらいながら身分を
飾り、自分では世に媚びへつらっていると思っていない。この様な人物こそ愚劣極まりない。”
2千数百年前の聖人は、既に民衆が最も尊い事を良くご存知であったのには驚かされる。しかし
それ以上に、世間に媚びへつらっていながら、自分では世間に阿っていると思っていない人物
こそ大バカという事を指摘しているのは鋭いといわざるを得ない。
現代は、この手の人物が繁茂しているが、それを資本主義のせいにしても始まらない。

世に媚びるのではなく、民衆を正しく導く事こそ政治の大道ではなかろうか?
そのためには先祖帰りして夢想に走ることなく、リアリティを取り戻すべきでは?如何なものか。
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母献金(贈与?) [社会]

今朝は歯科検診で、片道・約20分強の道程をスロージョギングで往復した。今年6.17~70日間スロー
ジョギングを継続し一旦中止していたが、11.18から再度試走を開始していた。今朝は寒く、心臓が
少し苦しくなり、まだまだ再開を宣言するには至らない。28日間の実施率:19/28≒0.678

さて、歯科医院に置いてある一週遅れの12/18号・週刊朝日を読んだ。
元公設秘書・ジャーナリスト上杉隆が遂に語る「(母)安子奥様の事情聴取はとんでもない」という
記事は大変興味ある内容だった。現在取り沙汰されている様な‘9億円偽装献金問題’が起こった
原因は、従来の忠良無比な金庫番がいなくなり、その隙を突いた誰かのよこしまな陰謀だという
ことだった。上杉隆氏の証言は、鳩山首相の母親・安子さんが、如何に清廉潔白で、脱税等する
お人柄でない事が伝わってくるような安子奥様への真心があらわれていて心温まるものだった。
事の真偽は私には分からないが、「さもありなん!」と思わせる説得力があった。
母親・安子さんの資産は500億円を下らないという。遺産相続に莫大な税金がかかるため多額の
寄付をして資産を減らし、また息子達への生前贈与では、従来、贈与税を上乗せして贈与して
いたという。忠良無比な金庫番がやっていたそういう手続きを踏んでいなかっただけらしい。

鳩山家の内情を、この記事の通りだとして、私にはいくつかの問題が思い浮かんできた。
その1つは、鳩山家の財産管理が忠良無比な金庫番によって守られていたシステムの脆弱さに
思い至らない日本的危機管理の問題である。金の山に居ながらにして忠良無比な金庫番等は
現代ではなかなかいないだろう。米国留学の若旦那が米国流の危機管理を学んでいなかったと
いうのは、この問題に限らず重大な問題であり、総理の資質を問われるのではないか。
2つ目は、鳩山首相や弟の金銭感覚である。9億円の生前贈与等ははした金で、いちいち金銭の
授受に関する連絡も承認もなく済まされるのが当り前という金銭感覚を前提にして、それで本当
に政治家としての判断が出来るのか?歴史的にみて政治の実体は天下の実情に通じた人々へ
と推移してきた。実態に即した政治体制にしないと、また黒幕政治になるという心配がある?
何故なら、黒幕志願者が居るからだ。

そこで気なるのが小沢幹事長。中国の副主席を強引に天皇会見に持ち込み、米国等に力を誇示
したのみならず、羽毛田宮内庁長官の一ヶ月ルールについて、天皇陛下の国事行為を「内閣の
助言と承認」という日本国憲法を持ち出してまで非難し辞任まで求めた。小沢幹事長よ、語るに
落ちたなぁ~!弱い犬は良く吠える。後ろ暗い政治家は居丈高になる! 如何なものか。
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日本的美意識 [社会]

日本的美意識については沢山の人々が様々な側面から論じている。それだけに日本的美意識が
実際生活上で、どのような働きをしているか?最近ではあまり考察されていないのではないか?
手元の福田恆存(1912~1994)の著作「日本と日本人」[文藝:昭和29年~昭和30年]は、
当時、1年間の洋行帰り直後に書いたものである。そこには、日本の特質と西洋との対比、戦後
日本における思想・道徳などの混乱を示した上で「日本人の“調和を愛する感覚的美感”を土台に
しない限り動きがとれない。」と書かれている。‘和魂洋才’の行き詰まりの指摘である。

洋才を使う事(猿真似)は上手だが、それを使う事によって生ずる社会への影響について、日本人
としてどのように対処すべきか?それは日本人本来の遺伝子をベースに考えなければならないと
いう事である。即ち洋才によって生じた産物をどのように消化して、国のため、人のために役立て
るのか?という観点は、日本人の遺伝子や体質を考慮しなければならないということだ。
その時に、よって立つものとして、福田恒存は‘日本的美意識’が適切だというのである。
福田は、‘日本的美意識’には長短両面があることを認めながら、“当時の進歩主義者は、日本人
の長所を否定し、その裏返しの短所に寄りかかっている”、と非難しているのである。

私は、福田の意見を読みながら、半世紀以上を経た今日にも通用する事に忸怩たる思いがする。
福田は‘日本的美意識’から発する短所も正直に指摘している。戦前の泥沼化への道を否定し
得なかった民衆の心情を、単に功利的なだけではなく、調和(和)を大切にする美感から、大勢を
乱すことへの躊躇があったと推定している。それは現代の‘過労死’等にも通じる心情ではなかろ
うか?‘過労死’に至るまで働くというのは、功利的なだけでできる事ではなかろう。
また最近の子供たちの“いじめ”で、「臭い」、「汚い」などといじめて自殺に至ったケースもあるが
それらも‘日本的美意識’の悪しき側面であろう。しかし、‘日本的美意識’は日本人の体質の中
には、深くある特質であり、素晴らしい日本の長所でもあるのだ。

民主主義や自由主義、どんな考え方でも長所ばかりではない。‘日本的美意識’には西洋文化の
視点から見ると、様々な弱点を持つが、西洋文化の弱点を補って余りあるものがあるのでは
なかろうか?そのような非西洋の素晴らしい特質をよく理解して、その長所・短所を弁えて、
その上で自分達の文化という地に足のついたやり方を真剣に考えてゆくべきではないか?
鳩山政権が、未だに50%以上の支持率があるというのは、日本人の美意識の賜物ではないか?
正に鳩山政権は、‘日本人的長所の裏返しの短所’を利用しているともとれる?如何なものか。
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非合理と不合理 [社会]

‘不合理’とは合理化を否定する事、‘非合理’とは合理化を否定しないが合理化に踊らされ
ない事、と定義する。荘子(?紀元前369-紀元前286)の外篇には、井戸の水を汲み取るのに
「つるべ」という仕掛けを使わずに厳しい労働をするお百姓の話がある。ある人が気の毒に
思ってその仕掛けのことを教えたら、お百姓は「それを知らぬではないが機械を使うと機心
(効率化・合理化を欲する心)が出る。これは物によって心が制せられることになるのでワシは
好まぬ。」、と応えたという。このお百姓の行為は、‘不合理’である。この荘子の話は、
「物に心が囚われること」を抑制する事が、心のあり方として大切だと教えてくれていると思う。

「つるべ」は、加賀千代女(元禄16年(1703)-安永4年(1775))の
○ “朝顔に つるべ取られて もらい水”
という俳句に詠まれている。千代女は、「つるべ」という機械を使っているのにもかかわらず、機心
(効率化・合理化を欲する心)を起こさず、朝顔を思いやって、能率の悪い‘もらい水’をする余裕
がある。作者の優しい感性が、この俳句の命だろう。

荘子の話に出てくるお百姓は、機心の起こること、そして物に心が囚われてしまう事を心配して
いたが、千代女の俳句から、効率化、合理化をしたからといって、必ず機心が起こり、物に心を
奪われてしまうという因果関係が成立するわけではない事は、明らかだろう。効率化、合理化は
大きく構えれば、世のため人のためであって、私利私欲のためではないのである。
勿論、小さな構えとしては、私利私欲も世の中の進展には潤滑油的な役割もあるだろう。
荘子の時代から数えると、2千3百年も経っている。千代女からでも250年。我々は、今や荘子の
感性も、千代女の感性すら見失ってしまっているのではなかろうか?

現代日本を省みて、政権交代をした政権は、私利私欲を潤滑油レベルに抑えるような政策を
進めるのではなく、金をバラマキ、甘言を労し、欲望を煽り、政権を維持する事に狂奔している。
そのために民主党幹事長自らが中国に大旅行団を編成し、国家主席にゴマをすり米国をけん制
する。挙句の果ては、次期主席という人物の訪日と天皇陛下との会見を、ルールに反して強引に
割り込ませるという暴挙までやった。従来の自民党以上に、パワーゲームをもてあそぶ危険な
政党である。私の予感していた滅亡への“起承転結”の “結”のシナリオがいよいよ見えてきた。
如何なものか。
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普天間問題091209 [社会]

普天間問題が風雲急を告げてきた。先月オバマ大統領来日時に合意された「作業部会」が中断さ
れる事になったと新聞で報じられた。オバマ大統領がその時に、11月中の結論を強制しなかった
のは、所謂、外交辞令である。こういうのを欧米では“assertive”な物言い、態度という。
威圧的でなく謙虚で一見組し易いとも取れるけれど、そういう人は信頼関係を構築するために
広い心の人柄であることを示し、互恵・互助による問題解決への強い意思を表しているである。
そういう人は一般に有能であるから、それを知らず、組し易いと甘く見ると自らの立場が悪くなり
手痛い目に会うのが普通だ。

鳩山首相は6年間も米国留学していたらしいが、理科系だから知らないかもしれないなぁ~
鳩山首相は、オバマ大統領来日の時に、「私を信頼してくれ」と言ったと新聞に書いてある。
オバマ大統領は、それを言葉どおりに受け取ったらしい。鳩山首相の場合は、どのような気持で
発言したのか分からないが、結果的にみれば、お互いに相手の意図を理解していないと言わざる
を得ない。新聞紙上によると、鳩山、平野、岡田の三人の考え方はバラバラだと私には見える。

米軍再編とそのロードマップについて、私はその詳細を知らない。国民はそのことを理解している
のだろうか?‘政治音痴’にもまして‘軍事音痴’といわれる日本人のほとんどは良く理解して
いないのではなかろうか?米軍再編とロードマップに遅れが生じ、日米同盟の深化が出来ないと
日本や米国にはどのような影響、不利益を蒙るのだろうか?

一国を背負う鳩山首相がここまで頑張るのだから、私のような単純な脳細胞では、「米軍再編と
そのロードマップに遅れが生じても日本には不利益はない」、という風に考えざるを得ない?
そこで日本には不利益はないと仮定した上で、米国には不利益があるから急いでいると考えた。
その時に米国だけが不利益になって、日本は不利益にならないという事が許されるのか?という
ことである。米軍基地の存在が、日本に大きな経済的・精神的負担があるとはいえ米軍に防衛を
負担してもらっている現実から考えると、相応の不利益が回り込んでくると推定するのが自然では
ないか?この様に考えを巡らすと、米軍兵士9千人のグァムへの撤退や多くの沖縄米軍基地返還
も盛り込まれている米軍再編とそのロードマップを遅らせる行動を継続する鳩山首相の意図が
全く理解できない。外交ルール認識や国際的現実認識も大局観もないマザコンと思われても
仕方がないのではなかろうか? 如何なものか。
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自分を育てる② [希望]

今日は日本の第二次世界大戦開戦記念日であるが私の所持する暦には記載されていない。
自分達に都合のいい「原爆の日」は騒ぐが思い出したくない事は省みない?大戦開戦記念日を
かみ締めるのも‘自分を育てる’大切な要素であると思うのだが。思い出したくない事は抹消する
という日本人の通弊は‘自分を育てる’という視点から、余り好ましくない側面ではなかろうか?

さて昨日「現代は‘自分を育てる力’発揮の環境整備は出来ている。」と書いたが、いやそうでは
ない!従来の障害とは別の障害が出来て、環境整備は出来てないと考える人もいるだろう。
“カツマーブーム”(出版社の演出?)も地方では感じられないところをみると、‘自分を育てる’
目的あるいは方向というようなことで様々な悩みがあるのだろう。勝間和代 vs 香山リカ 対談等
が企画されるのもその現れであろう。‘自分を育てる’問題は人生永遠の課題?

‘自分を育てる力’を明確に説明できないが、‘欲望’、‘理想’、‘希望’、‘夢’、‘幻想’‥の様々な
要素が動機付けになるのは‘生きる力’と同様だ。‘生きる力’は生存することを目的とする点が
異なるとはいえ、現代で生き辛い人々の多くは、物質的な問題よりも精神的な問題の様だから
≒‘自分を育てる力’といえるかもしれない。即ち、‘自分を育てる’ということは、‘生きる力’にも
なるし、‘愛の力’にもなり得るという視点が大切である。

‘金’が沢山あっても生き辛いのは、麻薬に走る芸能人などの荒んだ私生活を垣間見ても明らか。
まして‘金’で自分を育てる等という事ができようはずがない。‘金’で壊す事はできても買えない
ものは‘愛’。‘自分を育てる力’は、‘愛の力’がなければ育たない。‘愛の力’は、自分を育てる
ことで得られる。大人になってから‘自分を育てる力’を持続させるには、今までの常識、文化、
習慣等々の先入感を常にひっくり返してみる事である。決して否定したり、拒否したりしては
いけない。そうすればますますそれらのものに潜在意識下で束縛される。

現代人はマスコミ情報に汚染され、また伝統を軽視する風潮の故に、かえって古い生活習慣や、
偏狭な文化の呪縛に絡め取られるのである。「KY」等が流行語になること自体、それを如実に
現している。‘人間関係の希薄さ’等というのも一種の先入観で、日頃、交流のある人間関係が
真の人間関係なのだ。“真”を入れるのは自分しかいない。何も大げさな行動や思い入れは
必要ない。自分が交流の中に“真心”を持てればいい。その積み重ねが、豊かな人間関係を
築くのではなかろうか?そして自分を育てるのだ。 如何なものか。
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自分を育てる [希望]

自分を育てる力は持って生れた先天的能力だと思う。幼児は自らの努力で歩けるようになるし
喋れるようになる。様々な学習も、自分の潜在能力を発揮する手助けをしてくれるコーチは
必要だが、自分で学びとるのである。
自分を育てる力は、肉体と精神の両面にわたるので、死ぬまで自分を育て続ける‘力’を秘めて
いると思う。従って自分を育てる力は、それが有効に働いているかどうかは別にすれば、
生きている人間すべてに備わっていると思う。そこで、‘自分を育てる力’が、
有効に機能しているかどうか?ということが、重要な問題となるのだと思う。

マイケル・ムーア氏も資本主義を批判している。資本主義社会では効率第一主義だから、少数の
資本家に資本が集中するので大金持ちが出来、おこぼれを漁る小資本家が小金持ちになる。
労働者や知恵のない弱小資本家はどうなる?生産手段がドンドン高機能化し、効率化され、
弱小資本家は倒産に追い込まれ、労働者は単純労働者にならざるを得ない。技術者も学者も、
賃金労働者である以上、効率第一主義でコンピュータソフトに集約され、少数の高度な知識や
才能という財産を持つ人々しか金持ちになれない。地方は疲弊し、経済格差は拡大の一途!
それに少子高齢化と八方ふさがりだ。庶民は面白くないから、余暇もストレス発散で浪費生活。
ここは一つ、鳩山内閣に“日本反乱”を企画してもらい、西洋資本主義に風穴を開けるべきとき?
ただし昭和維新のような汚名を残さないで欲しい。

“日本反乱”はジョークとして、ストレスで‘自分を育てる時間’が無くなって来た?
マルクスは、“人間は労働(生産活動)によって自分を育ててきた”というが、その努力は並大抵
ではなかったろう。多くの人々は家畜同然の状況だったのではないか?‘自分を育てる力’を
存分に発揮できた人は、当時のエリートだったのではなかろうか?

そこで思い出してもらいたい。今ほど最底辺の人々を含め、豊かな時代はあったか?
今ほど余暇(休日)が多い時代があったか?‘自分を育てる力’発揮の環境整備は出来ている。
最先端の現代エリートと比べてわが身を嘆かず、ストレスを克服するためにも、輝かしい‘自分を
育てる力’を有効に機能させるべきではないか?例えば、「今話題の勝間和代女史は‘自分を
育てる力’に目覚めている」というと、誤解を招きかねないかもしれない。しかし彼女の著作や
発言などを観察する限り、彼女は現代の矛盾は矛盾として、それを克服する‘自分を育てる力’を
機能させている。“死ぬまで自分を育て続ける力”が世直しの原動力である。 如何なものか。
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‘Capitalism’批判? [社会]

マイケル・ムーア氏製作のCapitalism批判の映画が近々公開されるらしい。NHKの
「クローズアップ現代」で紹介された同氏の先鋭で激しい言論活動について視聴しながら、
米国の動的安定社会(いや今や動的不安定社会に近い?)の実態を見た思いがした。
日本においても、このような言論活動が行われているが、それらが社会的に影響力を持つ様な
社会的メカニズムに至っていない様に思う。マイケル・ムーア氏も当初は排斥されたようだ。
オスカー授賞式の発言でブーイングに曝されステージを降りた、というエピソードは、西洋の
動的安定志向、即ち対立関係の人間やグループも大きな枠組みで包んでいる事を示している。

正しい政治制度や経済制度が最初からあるわけではない。日本と西洋の違いは、より正しい
制度を追求する‘速度’であり、それが動的安定志向と静的安定志向の違いとなるのである。
今や、西洋だけでなく、中国やインド、韓国その他、多くの国々が動的志向に傾く中において
日本が静的安定志向を貫くには、それ相応の覚悟がなければならない。コペルニクス的転回、
発想の大転換が必要だと思うのである。

現在の日本は日本人の素晴らしい素質を育てるのではなくグローバリゼーションという現象に
振り回されて、マイケル・ムーア氏の指摘するような‘悪の資本主義’にのめり込んでいる。
戦後も「富国」を錦の御旗に効率第一主義になり、産業界はGMと同じ道を進もうとしている。
教育界は民主主義の本質を理解せず、明治時代と変らぬ猿真似文明開化を押し付ける。
本質は静的安定志向で‘察し文化’の日本の国は、お陰でズタズタに分断されて、子どもの
多くは‘孤独’の恐怖と戦っており、若い人々も同様であり、いい大人までが迷う有様である。

人間関係、連帯、絆、仲間意識、家族愛、隣人愛。この様な言葉の意味する内容は、人間なら
洋の東西を問わず誰しもが大切であることを知っている。しかしまた、それが時には‘束縛’と
なる側面もよく心得ている。大先生・福沢諭吉が「独立自尊」を提唱し、現代の勝間和代が
「インディペンデントな生き方」を実践しているのも、“絆”と“束縛”とのバランス感覚の問題で、
‘孤独’になることを望んでいるわけではない。
静的安定志向だと、このバランスの問題をこじらせると不安定になり、制御不能になって大きな
社会不安を起こし政治的に誤った方向に突っ込みやすい?或いは社会不安状態になった時に
日頃‘察し文化’で曖昧にして、政治経済の足腰が鍛えられていないので対応できない?票を
金で買うような‘子ども手当’政策は、‘悪の資本主義’の象徴ではないか?如何なものか。
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‘子ども手当’再考 [社会]

最近のニュースでも‘子ども手当’の無税化等が報じられており、鳩山政権はこの政策を
本気でやるつもりらしい。そこで初心に帰って‘子ども手当’を再考してみた。
昨日のブログでも書いたが、個人に配布してしまったら実現しそうにない「子ども社会再生」
政策を実現するなどの‘子どもを育てる’という具体的な考え方もなく、全て個人に任せて
子ども1人当り年額:31.2万円(月額:2.6万円)を支給するという考え方の基本は何か?

私の憶測を端的に言えば、政権は‘子どもを育てる’予算の多くは、様々な独立法人、企業体
その他の餌食となり、中間搾取されてコスト/パフォーマンスが悪い、と考えている?それより
末端に直接支給すれば、それぞれに有効利用し、豊かな人はボランティア的にPKO等と協力し
「子ども社会再生」などに乗り出してくれるだろう?という希望を抱いているのではないか?

日本人は、抽象思考が弱いから“やって見ないとわからない!”とよくいう。しかしNHKの
昨日の「クローズアップ現代」でみたマイケル・ムーア氏のように、私にも見えると言えば
おこがましいが、‘子ども手当’政策の結果で予想できる事を書いておきたい。

‘子ども手当’を経済的に当てにしたい家庭の場合、仮に支給後、数年後に子どもが中学卒業で
支給が無くなるとする。そうすると、家計が膨張していた分、収入減に伴う生活改善が出来ず、
家庭崩壊やそれに近い悲劇が発生する可能性がある。例え小さな確率といえども、1千万所帯に
近い母集団では大きな社会現象になりかねない。誕生から中学卒業までの16年間には、家庭の
収入も倍増?等と甘い夢は禁物。高度成長時代ではない。支給終了の苦しみを想像できない
のが、お金持お坊ちゃん政治家と、お気楽庶民である。人参をぶら下げられてわき目もふらずに
‘民主党’を応援するというのは、甘すぎる。マイケル・ムーア氏も言っていた、「民衆に
悪徳政治家や、悪徳経済人の脅しやキャンペーンに踊らされないようにドキュメンタリー映画
で政治に関心を持って欲しいと訴えている」、と。日本人は彼の映画をどう見ているの?

ボーナスが数万円減額されるだけでも庶民にとっては、大変なダメージである。年間30万円強の
減額は、想像に絶する大きな痛手となる。このショックを和らげるためには、ほとんどを貯金
(決してローンではない)に回した方がいいという事になり、賢明な民衆であればあるほど、
経済効果には程遠い事になる。仮に経済効果の呼び水になるようならば、‘子育て’どころか
相当数の家庭崩壊に繋がりかねない。お金持とは格差が広がるだけ! 如何なものか。
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子ども天国?地獄? [社会]

今日の朝日新聞“私の視点”「自由に遊ぶ環境の再構築を」という仙田満氏の記事に感心した。
中学三年生の学習意欲調査や、ユニセフの「子どもの幸福度」調査等で、子どもの劣化状況を
客観的に分析した上で子どもの育成環境の貧しさを指摘している。育成環境の問題については
以前より娘から指摘を受けていた。我が家の孫達は、現代では恵まれた戸建住宅で、家の前の
道路も遊び場になっているが、ご近所迷惑の問題もあり、休日はコミュニティで各種スポーツ
大会、練習等で両親はヘトヘトになるらしい。

私の子ども時代は道路で軟式庭球のボールを使って三角ベース野球をやったものだ。人の家の
庭に入ったボールを取りに行ったり、窓ガラスを壊したりすることもあった?大人達は怖いという
記憶はあるが、“駆逐水雷”、“あの子が欲しい”、“馬乗り”・・・等、様々な遊びをしたものである。
あの頃には、大きなお兄さんから、おちびサンまで子ども社会が健在だった。
そういった子ども社会(コミュニティ)を如何に再生していくのか? その一つの回答として
仙田氏は、‘プレーパーク’という遊び場を提案されている。プレーパークにはプレーリーダと
いうお兄さんが常駐して様々な野外遊びを教えてくれる。遊びの楽しさ、友達、信頼できる
大人等を知る事で新しいコミュニティを形成できるという。

ある人の話では、公園での子どもの声がうるさいと文句をいうご老人がいるという。明治時代
には外国人に「子ども天国」といわれた。日本で最初に米国留学をした大山捨松が、大正6年
(1917)に、“近頃の若い娘達は欧米の教育の良い所を学ばないまま、日本女性の最も良い所
を失って残念に思う。”と書き残している。奇妙な一致点である。

「子ども手当」のようなどんぶり勘定の予算ではなく、鳩山政権は子ども社会の文化資本蓄積
のために予算化すべきである。その時に大切な事は、欧米の見かけを猿真似するのではなく、
その‘志’を読み解き、それを日本的文化資本蓄積へとつなげて行く事である。
諸外国に「子ども手当」が今だかつてないからといって、独創的政策でも立派な政策でもない。
こんなバカな政策を喜ぶほどの国民は他国にいなかっただけのことだ。たこ壷から見ていると
視野狭窄症になる。だからいつの間にか「子ども天国」が「子ども地獄」になっている。
日本的文化資本蓄積と、自国のリアリティを把握するためには、コペルニクス的転回が必要だ。
日本的文化資本の大切さと同時に、世界の様々な文化資本も同等だと悟る事だ。如何なものか。
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