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新種の鬼退治? [希望]

今朝は随分冷え込んだが日中は暖かく、午後の散歩は残暑の頃と変わらぬ服装にも拘らず
汗をかいた。明日から仕事が来るので、何とか早起きして10/1と同様早朝ゴルフ練習へ。
こういう時に昔は良く、“鬼の居ぬ間の洗濯” というフレーズが使われたものである。
最近はあまり使われない様だから、この種の鬼は絶滅種族かも知れない。
この絶滅‘鬼’族は、「渡る世間に鬼はなし」といわれていた時代に生息していた‘古い鬼’で
“鬼の居ぬ間の洗濯”と敬遠されていた。古い鬼とは、上司、教師、父親、旦那、その他の
道徳やルールを押し付ける古い型の「権威者」だった。

現代の橋田寿賀子のドラマ 「渡る世間は鬼ばかり」で描かれている‘新種の鬼’が‘古い鬼’
に取って代わった。この鬼は変幻自在でつかみ所がないからドラマも延々続いているのだろう。
新種の鬼は、「神」を始め、「親」、「教師」その他の‘古い鬼’達の幅が利かなくなったのを
幸いとばかり、人々の心の中で、“鬼の居ぬ間の洗濯” だと偽って現われでてくる。
新種の鬼は、ねたみ、復讐、強欲、不平・不満、強引な自己主張、その他ありとあらゆる形で
現れでてくる厄介な存在である。‘古い鬼’達が幅を利かせていた時にも、みんなの心の中に
棲んでいたが、‘古い鬼’達の「権威」に押さえ込まれていて、おおっぴらには現れなかった。

ニーチェは既に19世紀に現代文明の行き詰まりの根本問題を考察し、その要因分析と対策を
述べている。しかしこれは哲学的次元であり、世俗的次元では、この根本問題は、世界中が
既に従来から分っていた問題であり、そのために権力、道徳や権威が存在していたのである。
イスラム圏と西側諸国との衝突は、根本問題解決手段の「権威」の変化速度に関する摩擦だ。
しかし権威の問題は精神的・内的問題であり、偏狭な道徳主義で解決できる問題ではない。

今や鳩山内閣になってますます日本の「権威」から、「自民党」、「天下り官僚」、その他が
古い権威の中に組込まれていくようだ。「アメリカ」という権威も今や地に堕ちかかっている。
第二次世界大戦後の日本における「権威」の変化速度は、最近、とみに加速しているようだ。
‘新種の鬼’退治では外圧的対策は難しい。しかし政治が、金・金・金に振り回されて、予算の
振分けばかりで、急激な「権威」の変化と共に、それに対応する新しい考え方、例えば“友愛”
を具体化する政策を推進しなければ、「正直者はバカを見る」とばかりに、内発的に自らを省み
自らをととのえる人々が減少し偏狭な道徳主義が蔓延るのではないだろうか?如何なものか。
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