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三原随想'09_0824 [散歩]

この所、好天が続く。昨日は午後から福山に用があったが、青春切符が余りそうなので、何とか
青春切符を活用しようと、あまりめぐりの良くない頭を捻ってみた。見つけた答えが、三原迄
足を伸ばして見物し、午後、福山まで戻るという計画。三原往復だと、青春切符1回分相当。
三原滞在、2時間半強という時間制限で、今後の散策のための情報収集という目的をほぼ満足
した上に、市内を散歩して、三原城祉という思わぬ史蹟やおいしいものとの出会いをした。
DSC090823びんご焼M.JPGDSC090823びんご焼.JPG
左の写真は、お食事処「つぼみ」の
メニューと、昨日食べた“びんご焼”
三原港,市役所,三原リージョンプラザ
図書館などの駅の南側を散策した後
お城を西からグルッと回って東の
駅構内に入る手前で見つけたお店である。早朝食と散歩の疲れで少し早めの昼食のつもりで入った。名物のたこの入った“びんご焼”が一目で気に入り注文。早々にカブリ付いて一気に食べたために実物は1/4になったが、余りに美味しかったので撮影。のしイカが隠し味になっている。
DSC090823三原城蹟1.JPG
昨日の三原で最大の見所は三原城祉。何が凄いか?新幹線が
三原城祉の上を通っているのだ。福山城が、新幹線のすぐそばを通っているのも驚いたが、三原城祉はその比ではない。三原城祉の事が、あまり知られていないのは、築城時期が永禄10年(1567)と古く、石垣が後世の城に比べて低いから、新幹線から見ても、城とは分りにくいからではないだろうか。私が強く興味を引かれたのは、なぜこんな事態を引き起こしたのか?その要因は何か?という事だった。
少し歴史を紐解いて調べたが、私の手元に在る貧弱な資料では分らなかった。ただ言える事は
山と海の狭い土地・三原では、鉄道を敷設した当時(明治26年頃)は、お城の敷地を通すのがベストであったのだと思う。築城当時は、島をつないで築いたというのだから、お城は海の中につくったようなものだろう。毛利水軍の指揮官として活躍した小早川隆景のお城らしい。

お城に関係した様々な家や人々の栄枯盛衰、また成功も失敗も、喜怒哀楽も、其処に塗り込められて語りかけてくる一幅の枯山水の様に、歴史を顧みる事は、日本的な歴史観であろう。
それなりに心地よいが、しかしまた、歴史を欧米的に省みる複眼思考も大切だ。如何なものか。
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