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日本のビジョン [社会]

今朝、安全シンポジウム予稿集の1つの記事で、面白い事が書いてあるのに気付いた。
JIS規格も国際規格との整合化の潮流で検討が行われている。その流れに従って或る工業炉の
JIS規格も改訂が行われたという。面白かったのは、新旧の比較という観点である。
“旧JISでは安全の主体は 「作業者」 であったが、新JISは、「設計者」 である。”という件。

工業設備の安全規格、それも国家規格が、安全の主体をある種の職種に限定するという考え方もどうかと思うが、増してやその基軸が、国際規格との整合化で変わるというのも如何なものか?
勿論、これは予稿集の記事を書いた著者の問題だけかも分らないが、日本的思考形態の特徴を
良く表している様に思う。 日本は、古来あらゆる外来の文物を取り入れて日本流に焼きなおしたというのは言い古された事であるが、現代のこの時点においても、刻々と、昼夜を問わず
日本人(の一部、或いは大部分?)は、西洋の文物をこのように換骨奪胎しているのである。

西洋文物の換骨奪胎作業は、日本の文化であって、それをとやかく言っても始まらない。
問題なのは、そのような状況を踏まえて、今後どのように進んでいくかというビジョンだが、
日本の実態を明確に把握できないが故に、大体が空理空論になって仕舞いがちである。
私の考えでは、日本人の殆どが、西洋文物換骨奪胎派という意味では同類である。
西洋文物礼賛派は、自分も同類である西洋文物換骨奪胎派の意味を勘違いしている。
真の西洋文物礼賛派ならば、とっくの昔に海外に移住しているだろう。余談だが、糸川英夫という学者が、将来(既に現代に近い)は、日本人の1/2は海外移住するだろうと言っていた。

日本人が海外移住に傾かないのは、言語障害で海外移住できないというだけでなく、
血縁・地縁に離れがたい絆、或いはホダシを、感じているからだと思う。日本人にとって、
日本は、そういう掛け替えのない場所であり、国であるから皆と一緒に暮らしたいと思うのだ。
日本人特有の文化によって “西洋文物換骨奪胎” という作業を繰り返すことで、日本の制度や
政治が見え難くなろうとも、言語障害を乗り越えてまで海外移住したくないのが本音だろう。

ならば、今回の衆院選では、バラマキ政策ではなく、日本に何時までも住み続けたい国家への
ビジョンを明らかにして欲しかった。出産・育児を金で買おうとするような政策で、
住み続けたい国家へのビジョンが出来るのか?追い出し政策としか思えない。如何なものか。  
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