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8.30衆議院総選挙と再帰性 [社会]

昨日、ある週刊誌のアンケートをもとに、8.30衆議院総選挙の成り行きを占ってみた。
私の今回の選挙に関する基本的な考え方は、「政権交代には至らない」 ということである。
その理由は3つある。第1は、前回の小泉郵政選挙と異なり、争点が明らかでないこと。
第2は民主党が政権を担うには未熟。例えば海上給油活動の変節、前小沢代表の企業献金偽装
問題、少し前になるがメール偽装問題なども含めて、取りこぼしが多すぎる。
第3は、平成5年(1993)の第40回衆議院議員総選挙で、自民党から細川連立政権に交代した
ときの失敗について、日本人の学習能力を信頼する、ということである。

昨日も書いたが、欧米のプリンシプル(体系化された原理・原則)を持たない日本では、
この時点で政権交代をするとは本来考えにくい。何故ならば、日本が変化するのは、環境変化への順応を原則としてきたからだ。現在アメリカ発の金融危機に遭遇しているとはいえ、1993年
当時、田中角栄とその派閥における政治資金がらみの政治腐敗に相当する問題はない。現在は
あの当時のような無謀な政権交代に賭けるほど差し迫った外圧や環境変化とはいえない。

従って、もしも8.30衆議院総選挙で政権交代が起こるとすれば、日本という国が21世紀になり
戦後の環境変化に順応して、体質を変えてしまっていると考えるべきだと思いついた。
日本人の考え方、体質の変化とは何か?私は、我慢、辛抱が美徳から悪徳へ変化したことだと
指摘したい。数年前、テレビの環境問題に関するアンケートに対して、30台前後の何人かが、
一様に“我慢はしたくないから”、“辛抱は悪だから”、といった前置き(言い訳?)をして
自分の対応策を答えていた。私はその時には、その真意が分らなかった。

最近、閃いた。この頃の若い人々(アラフォーを含む)は、“To Be” の生き方ではなく、
“To Have” の生き方に変ったのだと。無為に過ごす、瞑想する、というよりも何かで自分の
精神を満たしていなければ過ごせない。だから、いい大人まで麻薬に手を出してしまう。
日本人の原則:環境変化に適切に順応するための多くの習慣・考え方は体系立ってはいなかったが、環境が自然環境である間は立派に機能してきた。しかし、今や自然環境は瀕死状態で
人間社会の影響が甚大である。人間社会こそ自然と異なる、ソロスの “再帰性” で成り立つ。
“再帰性” を相手にするときには、従来の自然環境で培ってきた方法論だけでは通じない。
“To Have” の生き方は、ますます “再帰性” を跋扈させることになる。如何なものか。
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