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閑話'09_0811 [大家族]

あさっての息子とのゴルフ対決に備えて、久しぶりにカンカン照りの早朝ゴルフ練習に行った。
筋トレやスロージョギングの効果を期待していたが期待ほどの事はなかった。それでも65歳頃の飛距離、或いはもう少し前に戻ったように思った。まあ、それくらいで良しとしよう。
今日の天気は猫の目の様に変る。カンカン照りから一転土砂降り、と思ったらまた止んだり降ったりが続いた。それでも今日もまた、雨を縫って、スロージョギングと散歩をこなした。

閑話休題、先日、いつもの教会での合唱練習は今まで余り使ったことのない部屋でやった。
横長の大きな額が架かっていた。たまたま早く到着したので、額に書かれていた詩を読んだ。
額に詩の題名はなかったが、“某年某月に病者の祈りを書く”という但書でそれと知れた。
1年半ばかり前に書いたものだった。はじめて見たのも道理である。
私は、この“病者の祈り”という詩に興味を持った。今思えば、日本的ではない異国情緒を
直感したからだと思う。以下に、その辺の感じを書いておきたい。
詩の全文(日本訳)と原詩(英語)は、 「続きを読む」 に掲載しておいた。参考にされたい。

この詩に書かれていることを要約すると、次のようになる。
詩の作者は5つの目的、(課題解決、偉大な業績、幸福、賞賛、享楽) のために、5つのこと
即ち、(能力、健康、富、権力、あらゆるもの) を求めたが、何1つ叶えられなかった。
求めたものは、叶えられなかったが、願いは叶えられた、という。このところが分りにくい。
日本人は阿吽の呼吸で、直感的に分るのだが、外国人も日本人的なのか?私は、違うと思う。
作者は、自分は未熟にもかかわらず、神は本当に設定すべき目的(自分では言い表せなかった)を知らしめてくれた、感謝に耐えない、最高の幸せだ、と言いたいのでは?

この詩の作者のような人生の目的設定をするから、能力、健康、富、権力、あらゆるもの、がなければならないと思い、得られなければ落ち込んでゆく。詩の作者は其処を踏みとどまった。
人生の目的や手段は、状況によって幾らでも変更可能だ。詩の作者が最初に設定した人生の目的である“課題解決、偉大な業績、幸福、賞賛、享楽”は、生きている実感・味わいに過ぎない。
どんな人生にも、その人の心掛け次第で、課題解決、偉大な業績、幸福、賞賛、享楽などは付いてくる。詩の作者が落ち込まずに踏み止まれたのは、自分に相応しい真の人生の目的に目覚めたからである。自分に相応しい偉大な業績とは何か?深く考えるべきだと思う。如何なものか。   

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