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魔法の運動・3 [大家族]

今日は、スロージョギング(Slow-Jogging)二日目の挑戦である。昨日同様朝曇の午後快晴。
夏の日差しがギラギラ照りつける中、スロースタート。自宅から歩いて10分の地点(O)に、
カッキリ10分で行ける様、昨日よりもペースを落としてSlow-Joggingしていく。
背筋を伸ばし、前傾姿勢で、心も軽く気分も爽快!つくり笑顔で爽やかSlow-Jogging!

10分で地点・Oに到着。万歩計をチェックしたら何と1分間:160歩。昨日よりも10歩多い。
昨日のSlow-Joggingでは、1分間:150歩のペースだった。これは何を意味するのだろうか?
今日の結果は同一の距離を10分という一定時間で、歩いたら千歩、Slow-Joggingだと16百歩
Slow-Joggingの消費エネルギーは、Walkingの1.6倍ということを考えると、Slow-Joggingの1歩は歩幅が短くなっても、Walkingの1歩と同じエネルギー量を消費しているということになる。
非常に分りやすい結果であった。

今日の目的地は、宇治ミルク金時をいただけるお店である。家から歩いて30分強。
相変わらずSlow-Joggingを続行。田舎の裏通りを選んでいるから、あまり人目に付かないが、
Slow-Joggingは傍目には不恰好だろうな?等と考えていると、いつの間にか顔がうつむき下限になって爽やかな顔ではなくなっているなと気付く。慌ててまた、心も軽く身も軽く!颯爽とした
気分に転換。この当りが、Slow-Joggingの素晴らしいところではないだろうか。

今日の目的地までの結果も、O地点までと同じ1分間:160歩のペースだった。
帰路は少しコースを変えたが、やはりSlow-Joggingを実践した。
帰りは、1分間:154歩のペースだった。Slow-Joggingのおかげで、良い汗をかいた。
1時間チョッとで1万歩を突破することができた。節約できた時間を、庭でのゴルフの素振りと
アプローチの練習に当てる事が出来た。散歩は捨て難いが、Slow-Joggingも捨て難い。

私のような厚顔の美少年は良いが、若い人にはSlow-Joggingをする適切な場所が必要か。
河川の堤、広い運動公園、或いはウォーキングマシン(自宅またはジム)等が考えられる。
色々考えると実践が億劫になってくる。良いではないか。みんな厚顔の少年・少女で。
現代は、破廉恥なことを平気でやっている人も多い。
Slow-Joggingは、破廉恥な行為とまでは行かないだろう。如何なものか。

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魔法の運動・2 [散歩]

今日は雲一つなくすっきりした天気。早速、昨日学習したスロージョギングを実践してみた。
時間の都合上 ろくに準備運動もしないで自宅前からゆっくりとスタート。

姿勢は上半身前傾で、背筋を伸ばしてあごを少し上げ気味にする。足は走る時の様に地面を蹴ってはいけない。前傾姿勢から自然に足が出る様にする。愉快な気分でにこやかにお友達と談笑しながら行うのが良いそうだ。今日の私は一人旅だから談笑はできないが、合唱の晴れやかな顔になるように気をつけた。気分も顔も晴れやかさを心掛けるだけで、晴れやかなになれる。可笑しなものである。しかしいつの間にかいつものしかめっ面に戻っている。それに気付いてまた晴れやかに胸を張り、笑みを浮かべる努力をする。何度かそれらを繰り返している内に20分程度続いたので、自信が付き丸腰のまま、堀南のあぜ道の方へとスロージョギングで出かけていった。

田植えは終わって、水田に苗が行儀良く並んでいる。これが田一面の稲穂に変身するのが、毎年のことだが不思議である。少し帰校には遅い時間帯だが、たまに会う小学生に「こんにちは!」の挨拶をすると、相手からも返事が帰ってくる。向こうから挨拶をしてくれる子にも出会った。晴れやかさを保ち、にこやかだからだろうか?こんな100%近い確率の挨拶交換は、かつてなかったような気がする。

丁度、保険所で40分経過したので、万歩計をチェックしたら約6千歩になっていた。普通に歩くと10分間で約千歩だから、スロージョギングは、約1.5倍の歩数を稼ぐということになる。
歩数の時間効率を考えると、スロージョギングは最高!今後は堂々とやろうと思う。
スロージョギングは歩くのと変らない時速4~5kmということであるが、今回の私の場合も歩くのとあまり変らないスピードだと思う。しかし、今回、たまたま同方向に歩いていた小学上級生を、時間をかけてだが追い越したので、時速5km程度はあるかも知れない。

スロージョギングの消費エネルギーがウォーキングより1.6倍も多い謎が解けたような気がする。
ジョギング終了時の感触で歩いた後と大きく違う点は、足の感覚。疲れたというのではないが、海から上がった時のように地球の引力を感じる。距離当り消費エネルギーが、スロージョギングとウォーキングとで1.6倍違うとすれば、私の場合スロージョギングの方が、歩幅に関わらず一歩当り消費エネルギーはウォーキングの1.07倍という事で辻褄が合う。如何なものか。

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魔法の運動 [大家族]

今日は午後から仕事仲間の自宅へ行って、仕事に使うソフトのバージョンアップのお手伝いをした。そのお礼という事で、茶菓をご馳走に成りながら、児島湾・藤田地区の干拓の話を聞かせてもらった。帰宅時にはお手製の無農薬野菜を沢山いただいた。 “一飯を勧むるにも志を厚く”という小堀遠州「茶の湯の栞」通りの手厚いもてなしに感謝の言葉もない。

その後散歩の序でに、早速図書館に行って“児島湾・藤田地区の干拓”とそれに関連する政商・藤田伝三郎に関する本を借りてきた。また少し勉強して、一度、ブログに取り上げたいと思う。

帰路に堀南のジャスコ店内休憩所で一服した。頭上のテレビが「ためしてガッテン」をやっているのを聞くともなく聞いていると興味深いことを言っている。
これは、忙しくてろくにこの種の情報を得られないアラフォーの子供たち、或いは老齢化している親戚達に知らせねばと、今日のブログに取り上げることにした。

魔法の運動! それはスロージョギングだという。私が直感的にこの方法を良いと感じたのは、
放送中に後で述べる利点を挙げた事だけではない。私はスロージョギングを実践した経験者だ。
私は万歩計を持ち歩いている散歩マニアである。歩数を安易に稼ぐには“チョコチョコ走り”で走るのが最も手っ取り早い。しかし何かインチキをしているという後ろめたさがあった。
しかし、今日の放送(2009.06.10の再放送)で、今後はスロージョギング実践と胸を張れる。

スロージョギングの利点は以下の通りである。
1.疲れの指標である「乳酸」もほとんど増えない。すなわち疲れない。(個人的に実証済)
  筋肉は瞬発力がある「速筋」と持久力がある「遅筋」の組み合わせでできているらしい。
  「遅筋」だけで走ると疲れない。これがスロージョギングである。
2.スロージョギングの消費エネルギー ウォーキングよりも1.6倍も多い。
  ここのところの科学的説明は聞き逃した。要は歩くよりは疲れるという事ではないか?
3.筋肉内の毛細血管が増え生活習慣病改善に加えて、脳の判断・記憶の部分が大きくなる。
  これは、実践した人たちの実践前後の状況を比較検査して実証されているらしい。
  これらは、アメリカや日本における研究成果のようである。科学的根拠は明らかではない。
中高年の血糖・血圧・尿酸値等を下げ、ボケ対策にもなる正に魔法の運動! 如何なものか。

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親父の遺言 [大家族]

先日のブログ“合唱・一期一会”でも引用した亡父の掛軸の言葉について再度書いて置きたい。
父は生来習字を好み達筆だったが、仕事を引退した60歳過ぎて本格的に先生について修行もしていた。あの『小堀遠州の茶の湯の栞(しおり)』の掛け軸(cf.2009.06.08合唱・一期一会)は、
私が当地で家を新築した時に、床の間にかける物が必要だろうと書いてくれた。
父が亡くなる1年前の事である。当時は、床の間に掛けて朝夕に接していたが、その後転勤・転宅等が重なりいつの間にか疎遠になってしまっていた。今読み返して見ると、まるで遺言の様に思えてくる。再度、要所を示しながら、父の思いを振り返ってみた。

“茶の湯の道とても外にはなく 君父に忠孝を尽し家々の業を怠らず 殊には旧友の交りを失うことなかれ 春は霞、夏は青葉がくれのほととぎす、秋はいとゞさみしさまさる夕べの空、冬は雪の曉、いづれも茶の湯の風情ぞかし” 最初の一節は、生きていく上で、人間関係、および人と自然との交わりを大切にする事、その心の余裕を諭している。外にはない茶の湯の道なのだ。

“道具とても多からず少なからず・・・”の第2節は、事の外、親父の思いのこもった部分と思われる。原典を当たった訳ではないが、少し文章を自分流に書き換えているのではないかと思われるフシがある。特に「多からず少なからず」の部分などがそれである。茶道具にかこつけて、財産に執着したり、趣味の道具にのめり込んだりすることを戒めている。「幾度ももってはやしてこそ」という部分は、“もてはやす”という通常の言葉と異なるが、そこに、父の思いがこもっている。世間的な金銭評価ではなく、自身が手に持って使って手入れをして大切にしてこそ、本当の道具、趣味の道だということである。他人のお世話で伝える道具には金銭価値しかない。

“一飯を勧むるにも志を厚く 多味なりとも志うすき時は早瀬の鮎、水底の鯉とても味はあるべからず”の第3節は、客を接待する心の大切さ、幾ら高価なものでもモノを差し上げる人の心が空疎ならば、すなわち、形式的な気持で接待するとか、接待してやるという様な横柄な心持ちの接待ではいけないということ。自分では気付かずそうした態度・心持になることもある。

“籬(まがき)の露山路の蔦かずら明暮れてこぬ人を松の葉風の釜のにえ音たゆることなかれ”
の最終節は、人生の山谷に左右されず、茶道に精進する心がけを説いている。茶道でなくても良いのである。どんな人生の紆余曲折にも心の余裕を持って対処せよと解釈した。如何なものか。

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京都散歩’0906・2 [散歩]

大宮通迄でて、またBusに乗り四条大宮で乗り換え、千本鞍馬口で下車、船岡山に登った。
船岡山の山頂には三等三角点の表示板がある。標高:111.89mと書かれている。
設置年:明治36年(1903)。一等三角点=全国約千点に対し三等三角点は約3万2千点もある。
三角点で妻の写真を撮った。西南を見下ろす風景も、東方、大徳寺の三門“金毛閣”を間近に
見ながら比叡山を遠望するのもすばらしい眺めだった。船岡山では黒雲に覆われ、あわや大雨?
という状況になったが下山すると雨粒もなくなり、まもなく大徳寺の南門に達した。DSC0090611東滴壺.JPGDSC090611開祖堂前庭1.JPGDSC0090611大徳寺南門.JPG

南門から美しい松並木と石畳が続き左右には塔頭寺院が建ち並ぶ(写真左端)。大徳寺は多くの名僧を輩出し、従って塔頭寺院も数多い但し拝観を拒絶している所も多く拝観できるのは限られている。最初に拝観したのは龍源院(りょうげんいん)。枯山水のお庭がすばらしかった。主なお庭だけでも、一枝坦(いっしたん)、竜吟庭(りゅうぎんてい)、滹沱底(こだてい)、東滴壺(とうてきこ)、開祖堂前庭などがある。東滴壺は日本一小さな石庭として有名。この庭は何事をなすにも小さな自己を捨て思い切ってぶつかれば必ず成就する事を物語っているという。(写真上の中は開祖堂前庭、右端は東滴壺)DSC090611わびすけ.JPG

その後奥へ奥へ、三門、仏殿、法堂と進み前田利家の奥方の建てた
という芳春院までいって、一旦拝観を中断して草味庵「きおり」で
遅い昼食を摂った。大徳寺総門を東に数十m直進する。
刺身やだし巻き、肉じゃが、煮物、香の物他、6品にうどん、天ぷら
味噌汁がついている。価格は千円で味がいい。
料理を作っているご主人も気さくで気持ちのいい店だった。
2009.6.11の大徳寺散歩は、大仙院、その他まだまだ続く。しかし、
既に時間も経過して旬も過ぎてしまった。ここで一旦終止符を
打つことにする。(右の写真は総見院のわびすけ・京都市指定天然記念物)

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京都散歩’0906 [散歩]

今日は雨の予報だったが、結局、雨に会うこともなく無事に京都の散歩を楽しめた。
朝、京都駅のInformationで、市バス1日券を買いBusStopへ直行、何となく大徳寺方面にいく
適当なBusに飛び乗った。が気が変わって島原口で下車、西本願寺にいく。
昨夜とまったHotelで朝食をとった料亭の壁画が気になった。
壁画は、一つの壁一面に京都の名所旧跡が描かれている。
ろうけつ染めの染色画で切絵風または版画風である。その内容をお店の人に確認する前に
自分で曖昧な部分を確かめたかった。

場所は10ヶ所、五重塔(東寺。八坂は重なるから)、一目で分る清水の舞台、八坂神社、二条城
金閣寺に銀閣寺、・・・。後の4ヶ所の内、1つは建物の前庭 左右に木が描かれているので、
右近の橘、左近の桜だろう。従って“御所の紫宸殿”であろうと推察。
後の3ヶ所の内、2ヶ所は当てずっぽうで南禅寺の南大門と西本願寺にある飛雲閣とした。
最後はわからなかった。この飛雲閣を確認するために西本願寺に寄ったというわけである。
残念ながら“飛雲閣”の拝観は、親鸞聖人のご命日、お誕生日、春秋の法要の日に限るとの事
直接目にする事はできなかったが、写真で確認できた。
DSC090611西本願寺.JPG後刻、料亭の方にお尋ねしたら、最後の不明だった名所は三千院
また南大門と思ったのは知恩院の間違いだった。
壁画に描かれていた10ヶ所の京都名所は、不明1ヶ所、外れ1ヶ所
そして実際に行っていない所・1ヶ所(飛雲閣)という結果となった。
左の写真は西本願寺・御影堂(親鸞聖人の木像を安置している)の
大屋根の上で守っている阿吽の獅子の一方、吽行の獅子だ。
大屋根は平成12年に大修理したということでまだ新しい。
DSC0906012西本願寺唐門.JPG
(次の写真は、同じく西本願寺、北小路通にある唐門)
大徳寺散歩に行く前に、だいぶ寄り道してしまった。
我が家の宗教は、浄土真宗、西本願寺は大本山である。
大谷御廟には何度もお参りに行ったが西本願寺にお参りするのは
初めてだった。御影堂や阿弥陀堂の中は、心休まる空間だった。
京都駅から歩いての10分位でいける場所である。
あまり車の通らない道を辿りながら、下京区の町並みを楽しむ散歩も良い。如何なものか。

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合唱・一期一会 [合唱]

昨日は、岡山県連の合唱フェスを楽しんできた。
改めて合唱の原点がフェスにあると感じた。
若干形骸化の感があるのは、合唱の原点を忘れて彷徨っている人がいるからか?
この彷徨が、恍惚の人のものでなく、青春のものであるならばまだ希ありや?

そんなことを考えながら、改めて合唱は、正に“一期一会”だとつくづく思う。
昨日の出番の1つには55人が立ったが、再びこの時と同じメンバーで歌うことはもう再び
巡ってこないのではないか。演奏の後、健康の事でヒソヒソ話をしている人もいた。
同じようなメンバーでも増減がある。全く同じメンバーでも、既に時間は移り変わる。

千利休が言ったという“一期一会”もわかったようで分らない言葉である。
そこで思い出すのは亡父が書き残した『小堀遠州三代将軍に奉りし茶の湯の栞(しおり)』の
添え書きがある一幅の掛け軸である。“一期一会”解釈にそれを用いたい。以下に全文を示す。

“夫れ茶の湯の道とても外にはなく 君父に忠孝を尽し家々の業を怠らず 殊には旧友の交り
を失うことなかれ 春は霞、夏は青葉がくれのほととぎす、秋はいとゞさみしさまさる夕べの
空、冬は雪の曉、いづれも茶の湯の風情ぞかし
道具とても多からず少なからず珍らしき名物とても変わりたることもなくふるきとても
むかしは新らし ただ家久しく伝わりたる道具こそ名物ならめ 古きとても形いやしきは
用いず新しきとても形よろしきは捨つべからず 数多きをうらやまず少なきをいとはず
一品の道具なりとも幾度ももってはやしてこそ子孫までも伝ふる道もあるべけれ
一飯をすゝむるにも志を厚く 多味なりとも志うすき時は早瀬の鮎、水底の鯉とても味は
あるべからず
籬(まがき)の露山路の蔦かずら明暮れてこぬ人を松の葉風の釜のにえ音たゆることなかれ”

この文章は、1)人間関係及び自然風物、2)道具、3)志、4)常なる接待の姿勢、という
4部編成である。これを茶の湯の目的、技術・技巧に対する考え方、茶の湯に対する心構え、
そして、茶の湯と人生との一体化、と読み解いてみた。茶の湯に関するこの文章は、その行間に
人生の生き方そのものを説いている。道を究めるとは心を磨くこと。如何なものか。

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田園風景 [散歩]

このところ、田んぼが埋め立てられて行くのをみて不景気になると田んぼをつぶすのか?と
淋しい気分になっていた。だが田植えの季節、お百姓さんが苗を植えているのを見ていると
頑張っている姿に頭の下がる思いである。この辺りは戦後、田んぼを譲ってもらい農業を
しているという家もいると聞く。土地の転売で儲けるというのは頂けないが、兎も角、農業を
続けている人は偉いと思う。これは、無学な私の思い込みかもしれないが。

田植えのシーズンになると、やはり水不足の心配だ。昨日、ゴルフの昼食時、園芸の話題で
水不足でジャガイモの成長が悪いという話になった。水不足は今や世界的規模であり、
日本はまだまだ水の豊かな国だが、この辺りは晴れの国、裏を返せば水不足の心配な場所。
今後、空梅雨にならなければいいと祈りたい。
米の種類によるものか、既に苗を植え終わった田んぼもあれば、まだ水を引いていない所、
水をたたえているだけの田んぼと、さまざまな景色でにぎわっているように見える。

◎  カエル鳴き 泥水たたえる 田植え前

泥水だけの田んぼにカエルの鳴き声がする。用水路から流れてくるのだろうか。
田んぼの地中で冬眠して、時期をみて起き出して来るのだろうか?
都会育ちの私は、あまり興味を持ったことがなかったが、生物の営みはすごいと思う。
そういえば、昨日のゴルフ場の池(沼?)には、牛の鳴き声のようなウシガエルがいた。
ウシガエルが泣き出すと、「おいボールをくれと云ってるぞ!」などと冗談を言い合う。
そういえば、キジの鳴き声も二度聞いた。鋭い一声で、最初は何だ!とドッキリする。
一度は同伴プレーヤが、大事なパットをする瞬間で、失敗をキジのせいにしていた。
しかし、あれはパットをする瞬間に聞くと、確かに影響のある鳴き声である。

先日、東京から来ていた友人と備中国分寺辺りを散歩していて、この辺りの豊かな自然を
しきりに褒めてくれた。つい先だって、東京に5日間いて、自分が田舎に定着したこと、
言い換えると完全に田舎ものになったことを痛感した。都会の老人達の活き活きした表情、
発散するエネルギー、疲れを知らぬおしゃべりなどに圧倒されている自分に何の抵抗感も
ないのである。田舎も都会もそれぞれの良さがあるが両立はしない。如何なものか。

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瞬間湯沸し [社会]

今日は、久しぶりのゴルフだった。
何時も通りの付け焼刃練習も今ひとつなので、たいした期待もできなかった。それでも
どういう訳か、早朝から今にも降りそうな空模様を眺めながら、イソイソと出かけた。
結果は、案に相違して私としてはまずまずの出来で、帰宅後のビールが美味しかった。
ほろ酔い気分で、最近疲れ気味だから、早く寝ようと思っていたが、そうも行かなくなった。

鳩山邦夫総務大臣の発言は、問題にする程のレベルでもないとおもっていたが
今日のニュースでは国民的人気が高いという背景で、ゴリ押しをしているらしい。
彼のような人が、日本の世直しをしてくれると頼む人々を決して非難はしない。人それぞれ。
だから、私もビールで少し酔ってはいるが、彼に対する反対意見を述べたい。

簡保の宿や東京中央郵便局建て替え問題も、大臣がシャシャリ出てくる問題だろうか?
今の西川社長問題もそうである。
大臣の椅子をかけて発言しておられるらしい。
正義の味方、「鳩山大臣」ここにあり!!
まるで、戦国時代の一騎打ちで名乗りをあげる武将のような大時代劇である。
地デジコマーシャルの件で、草薙君のことを叫んだのも、ご同様である。

ここまでくると、大時代劇を通り越して、お笑いのピエロである。
そんなことを云うとピエロも気を悪くするだろう。彼のこういう所、子供っぽいのである。
それをニュース番組の解説者が「国民的人気?を背景に頑張っている」という。どう考える?
良識ある一般の国民は、日本人の良識を信じて黙して語らないのだろうか?
私は、皆さんが意見を等しくいうべきだと思う。
日本のことわざに “人の噂も七十五日” というのがある。
日本人は忘れっぽい。だから、スタンドプレーが華やかに見えるのである。

少し、皮肉りすぎたかも知れない。
このところ、いやな事件が多いが、この辺で日本の明るい未来を祈って筆をおく。
今日は雨に降られることもなく、曇天ではあるが爽やかだった。如何なものか。

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孫の運動会 [大家族]

DSC090531応援合戦.JPG今回の上京の大きな目的の1つとして孫の運動会がある。
Natsumiが小学校最後の運動会となる。コウタロも在校している。
当初の予定は5/30だったが、雨のために5/31に順延。
帰宅日の午前中、曇天だったが何とか見物する事ができた。
左の写真は、午前中、中盤の応援合戦である。
小学生の運動会も一人前に立派な応援団ができていた。

DSC090531貢走.JPGDSC090531夏走.JPG





上の2枚の写真は、二人の徒競走のスタート時のもの。
DSC090531組体操始1.JPGDSC090531組体操肩.JPG





DSC090531ピラミッド.JPGDSC090531組体操.JPG





上の4枚の写真は、6年生全員による組体操だった。
みんなよく頑張った。二人は共に白組。赤白対抗は連敗していたらしいが、今回は勝った。
すごくよろこんでいた。みんな元気でめでたく終了。感謝感謝! 如何なものか。

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