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流行性感冒_3 [希望]

スペイン風邪に関する資料(「流行性感冒」著者名 内務省衛生局)によると、
日本では、1918(大正7年)8月~1920(大正10年)7月にわたり3回流行した。
流行による被害(患者数、死者数など)の概略は下記の通り。
第1回 流行初発・大正7.8月-8.7.30 人口:57190355 患者数:21168396
 患者数/人口:0.370 死者:257363 死者/患者数:0.01216
第2回 大正8.9月-9.7月 人口:57784975 患者数:2412097
 患者数/人口:0.0417 死者:127666 死者/患者数:0.05292
第3回大正9.8月-10.7月 人口:55904738 患者数:203627
 患者数/人口:0.00401 死者:3169 死者/患者数:0.0165

この実績で最も強調したい点は、第2回 大正8年(1919)9月~大正9年7月における
死者/患者数である。第1回と第3回が1%台にもかかわらず、第2回は5%台となっている。
インフルエンザにかかった人の20人に一人以上の人が亡くなった。
記録によると、“患者数は前流行に比して10分の1に過ぎないが、その病性は猛烈で、
患者に対する死亡率すこぶる高く、大正9年3月4月は10%以上に上った”とある。
そして、注意すべき事は、第2回に感染したのは、前回感染しなかったものに重症者が多い。
前回感染したもので再度感染したもの無きにしも非ずだが、大体は軽症だったということだ。

“この感冒流行における特徴は流行の経過と共に病性悪変し肺炎を併発する者多く、その為
虚弱者のみならず、強壮者にてたおれるものが少なくなかった。”スペイン風邪では有名人も
多くなくなっている。最も有名なのは当時のスペイン国王。 松井須磨子らと芸術座を興し、
近代劇の普及に努めた島村抱月も犠牲者の一人だった。一緒に暮らしていた松井須磨子から
感染したようだ。松井須磨子は、舞台の勤めを終えた2ヵ月後に後追い心中をした。

我々は、科学の粋を尽くして新型ウイルスと戦わねばならぬ。ウイルスも人間も対等な立場で
生存権をかけて戦う。スペイン風邪の全世界における犠牲者の数を考えると今までの人間同士
の戦争よりも多くの犠牲者を出したことだろう。人間至上主義では戦わざるを得ない。
省みて戦いは本当に正しい道なのだろうか?兎も角、不測の事態を考える必要がありそうだ。
人間は不完全で過ち多き生き物。さてそれでウイルスに“愛”は通じない? 如何なものか。

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