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日本の現代思想 [物語]

DSC090411.jpg仲正昌樹著 「日本の現代思想」 という結構硬い本を久しぶりに短時日で
読み通した。良かったのは、日本や欧米の著名な人物の思想を、著作を
引用して、要領よく記述していることである。日本人一人で、これだけ
広範囲の現代思想を分りやすく解説した本を寡聞にも私は知らなかった。
解説内容にどれ程の妥当性があるかはおいて、少なくとも私の知る範囲
では、目くじら立てるような問題はあまりなかった。
おかげで大変勉強になった。勿論、郵便的不安はあるかもしれないが。

ただ気になることがある。それは博学多才な著者があとがきに書いてある
私的見解の独善性である。アラフォーからは抜け出した程度の若さの故か、ポストモダン思想
のなせる業なのか知らない。私は読み終え、結局、知の系譜というのは、ものごとを理解する
助けにはなるが、その成果に対しては何の保証もないということを再確認した。
人間は不完全な動物である。人間は一度にすべてのことを感受しえない。五感はすべて生体的
な制約がある。無念無想の無意識層に降り立ったからと言ってすべてがわかるわけでもない。
どれ程知能程度が高くとも所詮パンツをはいたサルである。一種の幻想に生きざるを得ない。

我々人間は、すべてを理解しているつもりにならなければ承知できない。だから郵便的不安の
ような誤配送、誤伝達問題が起こる。そういう未熟な人間がここまで繁栄してきた事に対して
まず感謝することから始めようではないか。保守だ革新だと争うのも、さらに素晴らしい社会
にすることであり、素晴らしい人間になることが目的なのだろう。日本人が仲正昌樹のような
知的レベルに達した事に私は感謝の気持ちでいっぱいだ。知的レベルを生かすも殺すも日本人
のありようであり、個々の人間のありようである。

我々人間は、何の教育も受けないで必要な知識や言語能力や運動能力が授かるわけではない。
人間は地球上に人間の子として生まれ、社会の中で育てられ生きていくのである。その社会に
は共同主観性や共同幻想が介在しなければやっていけないのだ。そういった共同性を歴史的な
個性と共同体の幸福とを勘案しながら、広がる世界との共同性ネットワークの樹立なくしては
安定的社会は築けない。その過程で様々な離合集散、戦いがあろうとも、独善的暴走は許され
ない。小さな物語を集積した大きな物語を語るためには地道な活動が大切だ。如何なものか。

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