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北朝鮮 ロケット [歴史]

北朝鮮が主張する「人工衛星打ち上げのロケット」の発射まで最短であと2日となった。
ロケットかミサイルかは搭載物が分かるまで判然としないという。政府は着弾の可能性に備え
迎撃態勢を取っているようだ。 このような状況をただ呆然と見守るしかない。それにつけて
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件のことを思い出す。
あの時(夜遅く) 私はテレビを見ていて急に画面が切り替わってビルに飛行機が吸い込まれて
いくのを見ながら、何か夢を見ているようで、現実感が伴わなかった。

その後、ジャンボジェットの衝突を受けても何事もなかった様に建っていたビルが、
突然崩壊していく有様に、二度びっくりだった。 建築家の友人に崩壊の理由を聞いたら
巨大な衝突物による振動が原因で、すべての接続部、継ぎ手が溶解して建物の重量を支えられ
なくなったのだということだった。 我々は、日夜、巨大なエネルギーを使っているのだ。
日本は、広島と長崎における原爆の被害で、世界初の被爆国になったが、この問題にしても
理性では理解しているつもりでも、実感として、現実の問題として受け止められていない。

人間は、錬金術から発展した科学技術によって、産業革命を起こし、人々の連携によって
科学技術= “金の牛” を発展させ、途方もないエネルギーを手に入れてしまった。
神が禁じ、モーゼが幾度も崇拝してはならないと説いた“金の牛”を。
鉛から金を作り出すことを夢見た錬金術師達が手がけた技術から進歩した科学技術によって
厄介ものだった黒い石や臭い水から、今やいくらでも金を生み出すようになった。
富(利)を生み出す “金の牛” =科学技術を、人々は崇拝して止まない。

“義” と “富(利)” が、相補うものである以上、科学技術もまた “義” を担っている。
“義” が、社会秩序を維持する手段であるのと同様に、科学技術もまた “義” を盛りたてる
手段であるに過ぎない。 然るに、科学技術を生きる拠り所としているのが問題なのだ。
現代のような巨大な科学技術、エネルギーを扱うにしては、そこに生きている人間があまりに
幼いというか、時代の進歩に対応していないというか、そぐわないというか。
現在のようなお粗末な感覚器官や思考器官では、利と義を通り越し、再帰性を通り越し
単なる偶発性の社会、カオスの社会に突入するのではないかという危惧を感じるが、
如何なものか。

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