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散歩閑話・4 [散歩]

amr0901210315004-l2オバマ就任.jpg黒人初の米大統領バラク・オバマ前上院議員(47)が、
約200万人の大観衆が見守るなか、20日正午(日本時間
21日午前2時)過ぎ就任の宣誓を行い、第44代大統領に
就任した。就任演説でオバマ新大統領は、理念として
「新しい責任の時代」を掲げ、米国民が結束して難局に立ち向かうように訴えた。散歩帰宅後の休憩時間にテレビで見ながら、日本との格差を見た思いがする。格差にも色々ある。知性の格差にも色々ある。 (写真は宣誓するオバマ米新大統領 写真上でクリックすると拡大する)
nakahara.jpgnakahara頭.jpg
今日も図書館に行って例の葛飾北斎作・冨嶽三十六景 復刻版の展示を念入りに見た。面白いことに気づいた。左の絵の左側は冨嶽三十六景の1つ「相州仲原」仲原(中原)は、東海道平塚の近くである。その絵の橋を渡っている赤ン坊を背負った女性を拡大したのがその右の絵だ。女性の頭の上には風呂敷包(弁当)等が入った浅いタライのようなものを頭に載せている。裸足のようだが右手にクワを持って颯爽と歩いている後姿がなんとも格好いい。「日本の母ここにあり」という風情が実に頼もしいではないか。日本ではほとんど見かけなくなったが、京都では薪を売る大原女や花を売る白川女など観光化しているとはいえ現存している。今日の昼休み時のテレビで、元宝塚のトップスターがバリ島の女性に頭の上に荷物を載せて歩くやり方を教わっていた。体の芯がしっかりするだろうし、実用的な体の鍛え方になるかもしれない。
DSC090121手袋.JPG
もう1つの収穫は、指先が出る手袋(左の写真を参照)
自動車や自転車用としては昔使ったことがあるが、防寒用として購入したのは始めてである。石油ストーブが壊れてから
エアコンで暖房するのが嫌いな私は碌な暖房もしないで
頭には最適な温度で仕事をするため手がかじかむのが苦になりだした。それでこの手の手袋が欲しかったが、結構お値段が高い(と言っても野口英世さんで買えるのだが)。結局、今日まで延び延びになっていた。今日はあまり行かないスーパーに小用のために寄ったら安かった(380円也)ので思い切って買った。覆いのない指の第二関節(短い指は第一関節)から先は冷たいが、思ったよりも効果があり、引切り無しに手をポケットやお尻の下に入れて暖める必要がなくなった。 感謝、感謝

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散歩閑話・3 [散歩]

冬の室内でも厚着をしてあまり暖房は使わないで、毎日散歩していると季候に敏感になる。
DSC090108さば雲.JPG今日は二十四節気の1つ大寒。一年中でもっとも寒い頃。
しかし今年は、当地では曇りから次第に晴天になり穏やかな天候になった。写真はさば雲をとらえたものである。巻積雲の一種。大気の状態が変わりやすく不安定で捉えづらい。写真の上をクリックすると拡大した写真が見られる。

2008.02.02のブログ「冬と芭蕉」に取り上げた句の中に、次の句があった。
○ 干鮭(からざけ)も 空也の痩せも 寒の中(うち) 1690年 芭蕉47歳の作
中は、“うち”と読ませるようで、大寒を意味しているわけではなさそうだ。
穏やかな大寒も年取った身にはありがたいが、厳寒であればあったで、このような句を
全身全霊で味わうことが出来る幸せもある。 

 大寒や 穏やかに晴れて ありがとう

散歩中、妻が“コーラス仲間から旦那とよく歩いているようだけど、イヤイヤ?それとも進んで一緒に歩いているの?”と聞かれたらしい。
妻の思いは、「自分の健康のために歩いた方が良いが一人では歩かない。交流という大義名分を前面に健康のために付き合っている」ということだろう。従って妻の本心は五分五分だと思う。
私も同じで、色々と事情があり、詳しいことは省略するが本心は五分五分である。

最近は妻と二人の散歩が多いように思い、今年に入ってからの二人散歩の割合を調べたら一人での散歩はわずか3回、何と85%もの高率で、二人で散歩していることが明らかになった。
昨年12月の1日から20日までは、二人散歩は8日間しかなく、40%だったから倍以上である。
今年に入って、二人散歩が目立ったためにコーラス仲間から聞かれたのではなかろうか?
今年の冬は、暖冬傾向にあるとは言え、冬は冬、その中を夫婦でよく歩いているなぁ!と
半ば呆れ顔で見られているのではなかろうか?

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散歩閑話・2 [散歩]

今日は天赦の日である。天赦については2008.11.04のブログでも触れた。
今年は、今日以降では、4/3(金)、6/18(木)、7/24(金)、8/31(月)、11/15(日)。
天赦の日は天の恩恵で何の障害も起きない日だそうだ。特に結婚、開店、創立、拡張などに
最良の日とされている。 新しいことの予定を組むのもいいかもしれない。
DSC090119魚.JPG
今日は特に“大安”と“一粒万倍日”との三つ巴。 
皆、素晴らしい日だったことだろう。
私も散歩の途中で、例の料理屋さんの駐車場で商いしている魚屋さんに寄って素晴らしく活きの良い魚(黒メバルと
カレイ)を分けてもらった(左の写真)
その帰り道、私の幼い頃、母の夕餉の買物に よくついて行っていたことを思い出した。

母が魚を購入するときには、他のものに比べて特別の判断が働いているような気がした。
そのことを聞いたことがある。その時の母が言った事 「魚が新しいか古いかを見分けるのに一番は目を見ることよ。目が透き通っていると新しい。目が白く濁っていると古いのよ。」を今でも鮮明に覚えている。 私はそれ以来、活きた魚の購入や釣った魚の経験を含め、いろんな機会を捉えて、魚の目の変化と魚の他の様々な変化を観察し、体験を積み重ねて、素人としてはいっぱしの魚の目利きになったと思っている。

幼い時に何に興味を持つか、そしてどの程度深めていくかによって人生の模様は決まる。
「成功型」は興味を持ったものを集中的にどんどん深める。 「成長型」はバランス感覚で分散的に興味を持つ。 どちらにしても、努力次第で、模様の深みは決まってくる。
一途に深めて成功した方が、分散的に深め成長したよりも人にはわかりやすい。

知人に 「人間は人の評価以外には何もない」 という意味のことを言った人が居た。
確かにその通りかもしれない。 魚は鮮度が重要な評価基準だ。それでは人間は?
人が自分を評価する基準、それは移ろいやすい。 従って自分に対する人の評価を云々すると
言っても結局は自分で自分を評価するしかないのではなかろうか? 如何なものか。

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散歩閑話 [散歩]

今日は午後から雨の予報なので午前中から散歩に出た。
少し早めの昼食を軽く摂り店を出たら雨が降っていた。予報通りである。美観地区の休憩所で休んでいる間に雨もあがり図書館に寄る。図書館では葛飾北斎の冨嶽三十六景の復刻版が展示されていた。帰宅後にインターネットで確認したら、展示は以下の18枚だった。
1.武州千住、2.深川万年橋下、3.江戸日本橋、4.江都駿河町三井見世略図、5. 東都駿台
6. 東都浅草本願寺、7.御厩川岸より両国橋夕陽見、8.隅田川関屋の里、9. 下目黒、
10.隠田の水車、11.甲州三島越、12.相州江の島、13.相州仲原、14.相州梅沢左、
15. 遠江山中、16.東海道吉田 、17.凱風快晴、18. 尾州不二見原
hokusai031深川万年橋下.jpghokusai022江戸日本橋.jpg
冨嶽三十六景の話は2008.12.30のブログでも少し触れた。年をとると色んな物に興味がわく。この版画が作られたのは天保元年(1830)前後だから約180年前である。しかしどの風景もまったく様変わりしている。私は下町勤務時代よく散歩したところから見ていくと、2.深川万年橋下(上・左の絵)、3.江戸日本橋(上・右の絵)、等がある。今は富士山が見えようはずがない。
hokusai024東都駿台.jpghokusai027穏田の水車.jpg
また今とあまりに違う風景に唖然とするのは5.東都駿台(右・右)
現在は駿台予備校として有名な神田駿河台。当時この附近には武家屋敷が立ち並び緑が多い。また10.隠田の水車(上・左)、隠田は現在の渋谷区神宮前。こんな水車があるのどかな田園風景が広がっていた。(絵の上をクリックすると写真が拡大されます。)
ここで使わせてもらった写真は、以下のURLに掲載されている。数十枚全部みたい方はどうぞ!
http://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/item/hokusai_fugaku36.htm

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NHK「だんだん」 [物語]

index_02だんだん.jpg朝のNHKテレビ小説「だんだん」をブログに取り上げるのも久しぶりである。 昨年暮れの12.19(第12週の金曜)に「だんだんと今後」と題して書いて以来である。
その時に、以下のようなことを書いた。
“「恋のバカンス」の曲を歌いだした頃(11/26)から
プロデビュ、成功物語を予想した。 しかしその後も物語は急テンポに進み、後半の来年以降が、単純な成功物語では間が持たないような気もする。
この物語の意図を再検討して、年内には、今後の展開を予想してみたい。”、と。
“http://thanks-moto39-inaka.blog.so-net.ne.jp/archive/20081219”を参照)

急テンポはその後も継続、今日(1/17、「だんだんの今後」から3週間・第16週の末日)
早、デュエット解散宣言が予告された。茉奈・佳奈の歌唱力から言って、成功過程を長引かせるのが難しいことは前から予想できていた。
“SJ”として超多忙な中で、茉奈のアルバイト先老人ホームの薮田(西岡慶子)との交流がきめ細かく描かれることに予感はあったが、やはり成功物語のみではなく成長物語でもあった。

成功物語と成長物語とではどこが違うのか? 勇気と希望と信念をもって人生に挑戦するときに、成功と成長のどちらを目標に選ぶのか?人によって異なるような気がする。
私は、成長とは現在の自分を前提とした“自分らしさ”、“最適な自分”を追及することだと思う。
自分とは、「能力」や「才能」だけなく、「体力」 「気力」 「性格」なども含む。
自分というものの「全体」のバランスを追求する。

成功を目標とする人は、現在の自分を前提にしない。成功のために必要ならば自分を極限にまで追い込むことも辞さない。“自分らしさ”とは自分をつくりかえる事。“最適”という概念はない。
成長とは無限の可能性を追求することに近いのではないか。
「だんだん」では、茉奈は成長型と言えそうだ。果たして佳奈は成功型か? 如何なものか。

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あいさつ [希望]

今日は“やぶ入り”の日である。2008.07.16に「やぶいり」と題してブログを書いた。
やぶ入りは正月と七月の十六日とされているが、今も生きているのか?
最早、勤務形態などが変わってしまったので、昔のままで継続されているとは思えないが。
DSC090113挨拶笑顔10.jpg
左の写真は2009.01.13のブログに載せたものと同類で、ある小学校の「挨拶」に関する標語の続きである。普段は歩かない散歩道で1月13日が二度目だった。小学生なのに良く出来ていると感心してその日に20数首を書き止めた。
今、読み返してみると20数首は挨拶のよさ・効果と、挨拶のやり方や挨拶を継続するための工夫・心構えといった2種類に大まかに分類できるように思った。

“挨拶”は、コミュニケーションの第一歩であり、人間関係の“いろは”だが、企業における教育でも“挨拶運動”が奨励される。明らかに“挨拶”をし辛い世の中になっている。その証拠に、これらの標語を掲げている小学生に「こんにちは!」と声をかけたら白い眼でじろりと見上げて無視して通り過ぎていった。一緒に歩いていた妻いわく、“不審人物と思われたのでしょう”との事。ことほど左様に、心を開いた人間関係を築きにくい世の中だ。
小学生の頃には、見知らぬ人に警戒するのは当然だが、ある程度成長したら“挨拶”こそが防衛手段になるのだと思う。外国人を観察していると彼らは常に周囲に目配りして観察眼が鋭い。
一般的な外国人なら目が会うと即座に“微笑む”。彼らは自分が無害な人間であることを意識的に伝えようとするのだ。勿論、こちらが無害であることを先刻観察済だからであるが。

20数首の標語の中に 「仲良くなれる はじめの一歩は あいさつだ」というのがある。
挨拶は言葉とは限らない。最初の一歩は、笑顔、ボディーランゲージで十分だ。
「あいさつは 心の体操 頑張ろう」 「あいさつは 心を広げる 魔法だね」
「あいさつは 人との心 結ぶカギ」などの句は、大人でも深く味わう内容だと思う。
“たかが挨拶、されど挨拶” どのような世の中になろうと人間関係のある限り、相手を疑い白い目を向けてばかりいては、豊かな人生は歩めない。
人間を観察する力を養い、強い心、広い心になろうではないか!
あいさつは心の体操であり、心を広げる魔法なのだから活用しましょう!如何なものか。

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2009小正月 [観光]

小正月とは正月の満月の日、旧暦一月十五日のこと。元日の大正月に対してこのように呼ぶ。
今年も新暦の一月十五日は満月ではない。従って、小正月の行事も廃れている。
昔はこの小正月までが松の内(正月の松飾を飾る期間、ただし地方により異なる)である。
いつまでも正月気分ではいけないと昔はよく言われたが、最近では松飾をしない家もある。
かつて元服の儀を小正月に行っていたので1月15日を成人の日としたという。武士階級ではなかった大部分の庶民にとってはわかりづらく、21世紀から成人の日は1月第2月曜日になった。
DSC090115ponyoパンフ.JPGDSC090115ponyo1.JPG
今日は、鞆の浦まで行って散歩した。
時間がかかった割には歩数が伸びなかったのは残念。行くキッカケになったのは昨年末の紅白歌合戦でも歌われた“崖の上のポニョ”(アニメ)の舞台に似ているという妻の言葉だ。私は映画を見ていないが妻は行ってみたそうだった。左の写真はアニメ“崖の上のポニョ”のプログラム表紙と崖の上の宗介の家の下にある祠(実際は陸奥稲荷) この崖の上で、監督の宮崎駿氏はアニメの構想を練ったそうである。DSC090115円福寺.JPG

崖の上には立派なお寺があった(右の写真)。
私は、今までに2度ばかり来たことがあったがじっくりと見物したのは初めてのような気がした。どの地域に行っても古い町並みがあり、旧家があり歴史がある。通りすがりの旅の人にとって、「大同小異」、「五十歩百歩」だった。
しかし今日は何となく気合が入っていたのか、無心に見て回るうちに、鞆の浦の凄さがわかってきた。実に古いものが残されている。それだけに瀬戸内海の海路華やかな時代の繁栄振りが偲ばれるのだ。お寺の棟瓦の飾りを見てその華麗さに驚いた。一見、鯉のように見えたが、この地で鯉のはずがない。波間から鯛が出てきている図ではなかろうか?

帰り際にわかったことだが、鞆の浦バス停のお土産屋に行くと、ポニョのパンフレットをくれる。
パンフレットは映画の場面と似ている場所を地図と写真で紹介している。
アニメ“崖の上のポニョ”のプログラムがあればなおいいかもしれない。
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老いる [希望]

昨日のドキュメンタリーの続きである。
自分が前期高齢者になって、老いることの不安がないと言えばウソだろう。
しかし、いまのところ老いることがそれほど嫌と感じない。
勿論、それは健康に過ごせているからだ。

そうは言いながら、少しでも体調が悪くなったりすると、死への不安、病への不安が頭をもたげる。PPK(ピンピンコロリ:死ぬ直前まで元気でアッという間に死を迎える)が理想だなどと現役引退直前に仲間とワイワイ言い合っていたころはマダマダわかっていなかった。

時にそんな不安を感じている中、昨日の田中寅夫さん・フサ子さんの生き様をみて、あぁそうなんだ!先のことをクヨクヨ考えることは何もないのだ!と改めて感じた。
64歳で、電気もガスも水道もない山中でどうして生きていけるのか?私ならそう思う。
田中夫妻は違う。彼らの若い間の経験があるからだが、それでも先のことを考えたらそんなことはできなかった。「自分らしく生きる」それこそが、「老いの道」。

高齢者が長い人生の旅路の果てに若い人々に迷惑をかけたとしても、後進の人々に“素晴らしい生き方だった。”と思われるような生き方こそ「老いの道」だと思う。
高齢化社会になって、子育てが終わってからの時間が長くなるこれからの時代、死を迎えるまでの間こそ、心の在り方が大切なのだ。

以下に羅列した写真は、散歩途中で見かけた小学生の挨拶に関する標語である。
DSC090113挨拶13.jpgDSC090113挨拶2.jpgDSC090113挨拶3.jpg
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2009成人の日 [物語]

081124_tougen_ichioshi_img.jpg成人の日の今日“山で最期を迎えたい ある夫婦の桃源郷”と題したドキュメンタリーを見た。主人公は田中寅夫さん (93歳)、フサ子さん(88歳) 山口県中国山地の山奥で生きた物語だ。終戦で復員した寅夫さんは妻と一緒にふるさとに近い山を買い夫婦で切り開いた。
自給自足で3人の娘たちを産み育て親兄弟を呼び寄せ、貧しくとも賑やかな日々を送った。
昭和30年代半ば高度経済成長期に入った頃、娘たちの将来を考えて家族で大阪へ出た。

子供たちが自立した頃(寅夫64歳)夫婦の原点である思い出の山へと戻るのだった。
山の生活は電気も水道も電話も通っていない。山に戻るといっても生易しいことではない。
「自分らしく老いてゆきたい」という夫の思いとそれを支えた妻。冬には雪も積もる。
年金は二人合わせて月7万円という。即席ラーメンに魚のソーセイジを切って入れただけの食事を美味しそうに二人がすする場面がある。現在の冬の寒さをかこつ自分の境涯が如何に恵まれたものかと、わが身を振返って感謝に耐えない。

寅夫さん80歳の祝いのときには、娘たち家族の孫までに及ぶ盛大な集まりが催された。
その場で子供達からいつでも戻ってきて欲しいと頼まれる。夫婦は感謝しながらも山に戻る。
90歳に近づいてもなお山の暮らしにこだわり続ける両親。3人の娘たちもすでに孫のある年齢になり、親たちの生き方を受け入れ自分達がなるべく山で一緒に過ごそうと考えるようになった。
寅夫さんは病に倒れてもなお山に執念を燃やす。

90歳を過ぎてなお、天秤棒の両側に肥えたご(下肥を入れる桶)をつるしてその重さに耐えるだけでなくバランスを取って担いで歩く姿には、感動という以外に表現のしようがなかった。
物語は、寅夫さんが93歳で亡くなったところで終わる。最期にフサ子さんが、「おじ~さ~ん、おじ~さ~ん」と山に向かって亡き寅夫さんを呼ぶ声が、実に透き通る美しさだった。

淡々としたカメラワークで、ドキュメントらしいドキュメント、しかし涙・涙。魂が洗われる涙!
第4回(平成20年)日本放送文化大賞 テレビ部門 グランプリに輝いたという。
YTV(よみうりテレビ)1/25(日)16:30 ~、NTV(日本テレビ) 16:25~
再放送があるらしい。興味のある方は見られたら如何なものか。

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冗談?本気? [大家族]

今日の話題は、いきなり昨日の話から入りたい。
昨日の散歩で妻との話中に、突然、妻が「ダブルパンチ食らっちゃって」と言い出した。
どうもよく話を聴いていなかった私は驚いてその原因を聞いた。
そうしたら「だから、合唱の練習場の予約でダブルパンチ食らったのょ~」
“うん?何かおかしい”と思いながらも、頭はひどくスローテンポでしか働かない。
しばらくして“そうだ!ダブルブッキングの間違いではないか?”

妻にそのことを正したら、「私たちの間では、ダブルパンチって言ってんのよ!」
大真面目である。そのことを私が茶化したら、「シャレで言ってるのに!」
妻が真面目に否定すればするほど、おかしさがこみ上げてきて、腹の皮がよじれて苦しくなるほど大笑いしてしまった。こんなに笑ったのは久しぶりだった。
妻にはこれと似た話で、“スターレット/スタッドレス”という一つ話がある。
この話は娘婿が聴いて喜んだ。妻いわくこのシャレも冗談、笑わせるためとのことだった。
シャレか、冗談か? ともかく、一つ話が二つに増えた。

昨日今日と私も合唱練習があり、今日は帰路散歩のために練習場近くまで妻に送ってもらった。
近くになると、対向車線がいやに混雑してきたので、帰路の混雑を心配して手前で降りて少し歩いた。妻はすぐ引き返したから大丈夫だったが、対向車線の車は延々と続いている。
普段はそんなに混雑しないので不思議に思いながら歩いていたら、白地の着物と羽織に金色の袴姿の青年が3人、オープンカーに乗っているではないか?

最初は結婚式かと思ったが、3人揃いというのもおかしい。それでやっと気付いた。
今日は当地の成人式の日だったのだ。そう思って見ると、どれも晴れ姿の若い男女と親族の人たちの車ばかりである。この道は、マスカットスタジアムから倉敷、水島、児島に抜ける近道だった。昨年まで“チボリ公園”内で行われていた成人式が、昨年末の閉園のために、今年からマスカットスタジアムでやることになったのだった。成人の日は、暦上では明日だが遠くから帰省してくる人たちのために日曜にすることになっているらしい。
先週の散歩実績、1/4(日)・17810歩、月・14690歩、火・17567歩、水・11835歩、
木・9623歩、金・10020歩、土・7787歩 週計:81749歩
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