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逝く人を思う [和歌・俳句]

今日は、連日の寒さも和らいで暖かな一日だった。
しかし昨日、今日と連日の訃報に、心は深い悲しみに包まれた。
今日のご葬儀は、我家と同じ浄土真宗により執り行われたが、年のセイか?
“ご文章”の言葉が、いっそう身に沁みる思いだった。

「・・・おおよそはかなきものは、この世の始中終(少年・壮年・老年)
 まぼろしのごとくなる一期なり。されば万歳の人身を受けたりという事を聴かず
 ・・・我やさき人やさき、今日とも知らず明日とも知らず、遅れ先立つ人は
 もとの雫、末の露よりもしげしといえり。されば朝(あした)には紅顔あって
 夕べには白骨となれる身なり。・・・・・」

新古今集・哀傷歌の最初の句(757)は
◎ 末の露 もとの雫や 世の中の おくれ先立つ ためしなるらむ
  僧正遍昭(816(弘仁7年) - 890(寛平)
解釈するまでもないが、
 葉っぱの元のしずくも、先っぽの露も、早い遅いの違いこそあれ
 地に落ち消えてなくなる。人の死も、またそれと同じである。
新古今集の成立は、1205(元久2年)、親鸞聖人は、1173年生れ - 1262年寂滅
聖人は、民衆の情(宗教性)に訴えるべく、遍昭僧正の和歌を使ったと思える?

新古今集・哀傷歌の次の句(758)は
◎ あはれなり 我が身の果てや あさ緑 つひには野べの霞と思へば 
  小野小町(生没年不詳)
解釈:悲しいかな 我が身の最後はあさ緑のけむりとなり、最後には
   野辺の霞になってしまうのかと思えば

 浅緑というのが、火葬によって立ち上るけむりの表現として誠にリアルで
 深い悲しみを、より一層深く感じてしまうのは、感傷的な今の心境のためか?
如何なものか
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