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日本人の道徳の基 [歴史]

気象台のデータを調べると正月の4・5日も低気温だったが、ここ数日、当地の冷え込みは、
今シーズン一番と感じた。温度的には変わらないのだが、風の強さが違っていた。
4・5日頃は最大風速:2.7~3.2m。それに対して24~27日の最大風速:6.0~7.9m。
やはり気温が5.0℃を切ると、風によって体感気温が、大きく変わると思った。

標記の件であるが、西欧人と日本人の道徳に関する対比の文章から始めたい。
以下は、ルース・ベネディクト著「日本人の行動パターン」からの引用である。
1,日本は身分社会。西欧人からは、欲求不満のたまる社会制度と思える。
2.西欧社会では、人々の行動を公共の利益と一致する様に制限できない。
  (注釈:これはトックヴィルの個人主義への批判をルースが引用した。)
3.身分社会でも、他の条件が望ましければ、自尊心と独創性のある人が育つ。

私は個人主義と言うのは、地球が無限に広がっていると考えていた大航海時代の夢物語
から育った間違った思想であると思う。人間が性善説なら良いのかも知れないが。
ルース・ベネディクトは「日本人の行動パターン」の中で、日本人の自己鍛錬や責務体系を
細かに分析している。それが、ストレスとなり、戦争につながったとも読み取れる。

ルースの「文化の型」という著書に、資源の乏しい「ドブ島民」の研究がある。
その最後の文章を以下に抜書きする。
1.ドブ島民は宇宙の悪意という最も悪い悪夢を抑制することなく生きている。
2.全ての闘争は殺人的闘争に見える。疑惑と残酷が闘争における武器である。
3.かれは誰にも憐れみをかけないし、だれにも、憐れみを請わない。

島国という制約のある社会では、自然や人間の猛威を和らげるバッファが少ない。
日本も江戸時代の二百数十年は、ゼロサム社会であった。従って日本人は
欧米人の様に、海外に進出し、教化するという美名のもとに略奪し、自国では
慈悲深い社会を育ててきたのではなく、乏しい資源の中で頑張ってきたのである。
日本の社会は、確かに自己鍛錬や責務体系という形で、窮屈な思いをさせて来た?
しかしそのお陰で、素晴らしい人間的自信と独創性も、慈悲も豊かになった。

マーガレット・ミードは「文化の型」の新しい序(1958年10月)において、「文化の型」が
生き続けるのは「文化の作用についての知識が、かつて知られていなかった程大きい力
によって人間の未来を制御できるという彼女(ルース)の健全な信念」だと書いている。

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日本社会の道徳が完全でない事は確かである。自由も必要、個人の尊重も大事。
だが、地球が有限で、異常気象も現実問題である今日、欲望のままに、ツケを
外国に回せば済むと言う問題ではない。

島国でも、ドブ島と、日本列島では規模が違う。ましてや地球規模となると
ツケを回せるバッファは大きいから、それ程神経質になる事は無いのかも知れない。
しかし日本が培ってきた「大きな島国」のゼロサム社会における文化、道徳の基は、
大変貴重なものだと思う。戦前の日本人エリートの多くは、日本の精神的到達レベルを
世界に適用しようという野望を持ったかも知れない。しかし、その方法論も含めて
文化の溝は大きく深く、それは独善的だとされ、戦争に負けて終わった。
そして日本人は、精神も西欧化してしまった?

力で文化や道徳を押付けるのは正しいやり方ではない。けれども
文化の作用に関する知識が、人間の未来を制御できるなら、日本が培ってきた
ゼロサム社会における文化と道徳の基は、未来を拓く知識となる?如何なものか
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