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神はいるか?いないか? [閑話]

確か、今日までを“松の内”という。私の解釈では、まだ正月気分が抜け切らない
のん気な連中の気を引き締め、従来の仕事モードに戻す目安の日だったと思う。
時代と共に、正月気分の長さも変化するのだろう。近頃は休み明けから仕事モード?
私は毎日が正月と言っても可笑しくないが、なぜか毎日が日曜(or休日)という。
何故だろう?「毎日が正月」というのは、現役の皆さんに余りにもノー天気と
思われるからだろうか?「姥捨て」されない様に大人しくしなければ!

さて、標題の「神」の存在についてだが、難しい議論をするつもりはない。
「神」という概念そのものが漠然としていて、取り留めがないのである。
ただ最近、私が経験した二つの事象から、気付いた事を書いておきたい。
世の雑音から己を守る為に、様々な事に応用できると思うからである。

お正月のTV番組「マツコと有吉の怒り心頭SP」という番組を視聴している時に
マツコデラックスが「神はいるか?」という質問を投げかけ、有吉が言下に「いない」と
否定。その後マツコが「いないと思うが、分からない」という様な会話をしていた。

何故そんな対話に興味を持ったか?
その前に、本屋の立読みで目にした対話。それは
「東日本大震災を目の当たりにしてあんな酷い事をするなんて神様はいないと思う。
あんたはどう思う?」という質問に、相手は気の無い返事を返しただけというもの。

この二つの事例で、私が感じ取った事は、「神の存在」に関する意見などは、
「発言者(一人称)の意見」を親身に感じ取れることで初めて意味があるという事。
ニーチェは「神は死んだ」と言ったというが、それはニーチェの個人的見解として
意味を吟味する側に主導権がある。
ニーチェの解説者も個人的見解であり、批判的に読み解く必要がある。
東日本大震災の報道に驚いて、神様はいないのでは?と疑うのも、個人的見解?
こういった人は、恐らく、数々の大災害、大戦争の惨状を、他人事としてしか学んで
こなかったから、今更のように驚くのだろう? それが世の中の実情では?逆の
言い方をすれば、数々の大災害、大戦争の惨状を実体験した人が、返って神を信じ、
祈るという事もあるだろう。「神」の存在は他人事ではない。他人事でない事は、
他にも沢山ある。そういう事はしっかり自分の問題として考えよう!如何なものか
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