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京都歴史散歩2012_9(3) [歴史]

Winterhalter_Elisabeth_2.jpg今日の京都歴史散歩は、昨日までの和ものと異なり、洋ものである。
和ものは、平安時代の平康頼、安土・桃山時代の細川幽斎だったが、
洋ものは19世紀(近代)、オーストリア=ハンガリー二重帝国史終末期の
皇妃エリザベート(1837年12月24日~1898年9月10日)という女性だ。
美術館「えき」KYOTOで9/7~10/28まで開催されている「輝ける皇妃 
エリザベート展」を観覧したが、それは、全く奇縁によって導かれた。
予定していなかったことである。

さて、エリザベート展の感想を書こうとする時に、その時代背景の複雑さに困惑する。
オーストリアは、神聖ローマ帝国の正統を継ぐ存在だったが、17世紀のマリア・テレジア時代
までで、その後衰退していく。フランス革命、ナポレオン戦争、産業革命等の波、そして
エリザベート時代には、共産主義も台頭してくる。列強と言われるイギリス、フランス、
ロシア等も、それぞれ事情を抱えていたから、すぐどうこういう事はなかったが
大変な激動の時代だった?時代考察は置き、エリザベート展の略歴と感想に入ろう。

誕生は1837年で、今年生誕175周年。キリストと同じ誕生日だった。誕生の時、既に歯が
二本生えていたという。これは幸運の印とされた。(私の感想:強健な体質では?)
老境になったエリザベートが幼い頃の思い出を語った内容は、「私は疲れるという事が
ありません。父親のお陰です」。彼女は「蝶のように、地面に足を触れないように」
エレガントに歩いたが、父親譲りで決して静かに座っていられなかったという。

結婚は1854年、満17才になる前の春。結婚や結婚後の生活については他の資料も多い
から省略する。此処では私が感心した彼女のトレーニングの事を書いておこう。
美貌の探求の為?平行棒、吊り輪、鉄アレイを使った体操、重量挙げを毎日欠かさずに
実行していた?激しい馬術やフェンシングの訓練、それに長距離の速歩もしたという。
速歩に同行する女官達は、皇妃についてこられる事が条件だったらしい。乗馬技術も
超一流、オリンピックで優勝する程の腕前だったと言う。 展覧会でエリザベートの
装身具などを見ると、我々庶民と比べれば贅沢だが、列国の王妃などの装飾品と比べ
れば、どちらかと言えば質素な位では?と、私は思った。1898年、エリザベートは
無政府主義者の凶刃に倒れ、この世を去った。彼女の生涯は、後世、毀誉褒貶様々だが
それは彼女が、余りに絶世の美女であり続けた為の僻み根性があった?と、私は思う。
劇的な結末によって、当時の世の人々から満腔の同情をかい、世紀のヒロインとなった!
美貌と共に健康を追求をする人に、悪い人は居ない? 如何なものか
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