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財政改革と「民主」の概念 [社会]

昨日、今日と快晴が続き、しかも気温も上昇して正に陽春。快適な散歩日和である。
野暮用その他の外出続きで、今週はブログをほとんどお休みしてしまった。正直に言うと
あまり書く事が、なかったというのも、おおきな理由である。そんな中で一つだけ、
テレビ朝日「モーニングバード!」2012年4月26日8:00 - 10:30 は面白かった。
財政改革に成功したオーストラリアの事例を紹介した番組。「今の日本 財政改革=
増税なのか!?」は、現代日本の政治が、如何に狂っているかを明確にしていた。

報告者は玉川徹。オーストラリアは歳出削減で財政改革を成し遂げた。増税は歳入拡大
であり、それは歳出拡大を招く。現在の赤字を削減できなくて、歳入拡大したら、又々
それに比例して歳出拡大し、又々、赤字が増大するのは火を見るよりも明らかである。
それにも関わらず、増税を財政改革というのは、日本の財政関係者が狂っているからだ。

様々な官公庁が予算をかけ、オーストラリアだけで無く、他国の行政の仕組みそのものを
しっかりと調査し、詳細なレポートとして取り纏められているという。それにも拘らず
正しい財政改革が行えないのは、官僚評価が、財政健全化や経済の好転で評価されず、
むしろ歳出の拡大、増税で評価される仕組みであるからだという。(以下のURL参照
http://blog.livedoor.jp/hardthink/archives/51931436.html
それはとりもなおさず一部の強欲な特権階級に政治・経済を牛耳られているからである。

何故、一部の特権階級に牛耳られるのか?それは、日本社会が民主主義や自由主義の
社会ではなく、明らかに階級社会、身分社会であるからだ。江戸時代に、主君の権力に
武士も町人も従わなければならなかったのと、現代も同じ社会構造だからだ。
勿論、憲法では、行き過ぎた「国民の権利」を主張している。その結果、日教組や
モンスターペアレント、その他、様々な問題が生じている。しかし本当に守られねばならない
個人の権利は、階級社会、身分社会の中で、「和」の精神を尊重する建前によって、
集団主義の中で窒息しかかっている。明治維新も敗戦後も、「外圧」による改革で
あるために、人間の内面が追随できない。夏目漱石の言っていた「内発的開化」が
できていないのである。そういう付和雷同の衆愚を民主党や橋下は洗脳し誘導して、
変動を起こすのである。変動は絶好の商機。一部特権階級とその膨大な系列集団を
喜ばせる。この系列集団に入れない人間は落ちこぼれ。「民主」とは「内発的開化」を
進めた人間が「神」に対峙し渡り合うための概念。「主(あるじ)としての民」である。
民主党や橋下に騙されるのは「民主」ではなく「衆愚」である。如何なものか
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