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‘縁’ に導かれて(2) [物語]

昨日の続きで、先週のNHKTV小説「カーネーション」に関して、もう少し書残しておきたい。
当初、相川事務長(蟷螂襲)提案のファッションショーは、看護婦をモデルとしたいが、
患者は観客という事だった。私の住んでいる町(保守的)では、職員を巻込むイベントを
企画する病院はあるが、現在でも患者まで巻込むイベントは、寡聞にして知らない。
それを、糸子(夏木マリ)が一歩進めて、「患者もモデルに」と提案したところに、
糸子参加の意味があったと思う。イベントと糸子との縁ができた。

患者もモデルに参加させる事では、糸子と相川総婦長(山田スミ子)とで火花が散る様な
真剣な議論があった。互いに、自己の職業に対する自信と意地をかけての戦いである。
ドラマの時代は平成13年(2001)。当時、患者を巻込むイベントは先進的だった?
総婦長の拒絶に対して糸子は次の様に食い下がった。「患者さんにええ服を着てライト
浴びて歩いて欲しい、それを他の患者さんらに見て欲しい。医療とは何の関係もないと
思うかもしれんけど、そんな事が人に与える力をウチは、よう知ってるんです!・・・・
1人でもええ!希望する患者さんを参加させちゃってください!」
この熱い説得が、末期がん患者・吉沢加奈子(中村優子)の奇跡を生みだすのである。
加奈子が、敢えてショーの出演を希望した理由は自分が幸せになる事だ。それを知って
自分の衰えに怯える子ども達も、母親の雄々しい生き方を理解し、自分たちも雄々しく
生きて行くだろうと思ったからだ。

この加奈子の物語で思い出した事がある。それはケイン君のことである。
ケイン君の事は、2007年3/17&11/11、そして2008年12/27のブログ等で紹介した。
ケイン君は、ドラマにおける加奈子の子ども位の年齢だが、病気における立場は全く逆。
ケイン君はロスモンド・トムソン症候群と免疫不全という難病で「二歳まで生きられない
かも知れない」と言われたが、9年8ヶ月の生涯を両親、家族そして周囲の人々と共に
逞しく生き抜いた。それだけでも奇跡だが、加奈子と比べると、更なる奇跡だと分かる。
2008年12/27のブログで紹介したケイン君の本・著者:孫 理奈「ケイン、愛してるよ」に
よるとケインの頑張りは周囲の多くの人に、1.勇気を与えた。2.「生きていること」
自体が当たり前ではなく、とても幸せでありがたい事だと気付かせた。3.本当に産れて
きてくれてありがとうという感謝の気持を抱かせた。 加奈子と比べてみて欲しい。
ケイン君の母親と同年輩の加奈子(ドラマ)でも、周囲の人々に感謝や勇気、幸せを分け
与える為には、院長はじめ多くの病院関係者、そして糸子らの助けが必要だったのだ。
9年8ヶ月の生涯でそれを成し遂げたケイン君は本当に偉大な奇跡だった。如何なものか
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