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現象と幻想 [閑話]

「現象」とは、現れて見える形、の事をいう。感覚で捉えられるものである。
人間(動物も?)の感覚は、嗅覚、聴覚や味覚等の様に、変化しないと感応しなくなる
傾向がある。少なくとも感覚は鈍くなるだろう。
従って変化する現象は、些細なものでも、結構感じる。従って大地震、大津波の様な
大きな変動現象は、当然、人間に大きな影響を及ぼすのだろう。

私は、そこで人間は、表面的な現象に感応する動物だと考えた。何故なら、地球の中は
マグマの灼熱地獄で、日本列島はマグマによる地殻変動で地球上をサーフボードの様に
滑っている状態だと教わりながら、日頃は全く感じていないからだ。
そこで、気付いたのは、大きな変動現象は、決して変動していないのではなく、常に
変動しており、顕在化した大変動は、そのホンの一端に過ぎないということである。

「幻想」とは、取り止めのない空想、ありえないことを在る様に思うこと、である。
昔、杞に住む人が、「いつか天が落ち、地が崩落して身の置き所が無くなってしまう」と
憂いたという故事から、中国や日本では取り越し苦労を「杞憂」という事になっている。
でっかい隕石の落下等は、天が落ちるのと≒で、ありえないとは言えないだろう。
私は「杞憂」≒「幻想」という風に解釈していたが、明らかにその違いが分かった。

「杞憂」も「幻想」も、人間の感覚の限界から生じる現象である。
しかし人間が生きる上での智恵として「杞憂」否定と「幻想」とは正反対の意味を持つ。
「幻想」は、現実を直視する勇気から逃げるための方便である。
「杞憂」否定は、現実直視から逃げるのではなく、人間の限界を知り、限界を受入れて、
人生を前向きに生きるための方便だ。「幻想」に生きる人は、自分が明日をも知れぬ命で
ある事を忘れているが、それは、取り越し苦労をしないという事とは異なる。

文明が高度化して、様々な現象が多様化し、価値観も多様化して、耳目を集める事が
困難な世の中になってきた。それで、発達したコミュニケーション網を使って、耳目を
集める金儲け、「幻想」誘発等の奇抜な情報を流す事が流行するようになってきた。
そのようなネット社会では、「現象」と「幻想」の区別が付かず、撹拌されてしまう。
そういう状況で頼りになるのは何か?頼りにすると言っても何もないのかも知れない。
しかし一人でも多く、自分の頭と耳目を頼りに、取り越し苦労にも、幻想にも陥らず
しっかりと生きて行って欲しいものである。如何なものか
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