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愛or執着 [閑話]

今日は風が冷たく、日中で日差しもあるのに深々と冷え込んだ。
散歩に出掛ける前に、日差しに騙されて、昨日より薄めの上着にしたのが敗因だった。
一昨日から大寒だというのに比較的暖かだったから、油断した。油断大敵である。
そんな事から、物事を判断する時に、必須(Best)、有るに越した事はない(Better)
無くても良い、無い方が良い、という4段階評価基準について、考えた。

例えば言葉であるが、日常用語、高度な敬語あるいは高級な社交話術、砕けた話法(例えば
べらんめー口調や駄洒落)、下品な言葉使い、その他。こういう言葉の種類に関して
日本語、英語その他の外国語等も含めて、4段階評価基準で考えた時に、各評価クラスに
何が当てはまるかは、人それぞれで、その幅は随分と、多様な広がりを見せるだろう。
例えば、高度な敬語あるいは高級な社交話術が必須で、下品な言葉は無くても良い、という
人も居れば、その真反対の人も居るだろう。私等は、英語すら日常用語もままならないが、
生きていく上では余り不都合を来たしていない。しかしこれからの若い人たちは、英語、
その他、外国語の日常用語位は必須という人々も多くなるだろう。

言葉の例でも分かる様に、一人一人の人間にとって必要とすべき物事とは、その人の育ち、
文化、教養等により大きく異なる。社会は、多様な欲求を持った人々で、構成されている。
然るに今の社会(日本も世界各国も)は、バラマキ政策(高福祉政策等も含む)で問題解決
しようとし、日本では地方自治体の破産が起こり、世界ではギリシャの様に国家財政が
破綻に至っている。大阪では財政再建のために道州制を導入すると息巻いているが、問題は
制度ではないだろう。世界中殆どの人が「金は有るに越した事はない」と考えているからだ。

その考え方が、死に金を溜め込むという悪い風習と、もう一つは、本来の多様な欲求により
在る程度満足していた人々の不要不急の欲求に火をつけ、欲求不満の増大・爆発につながる。
江戸時代に「金は天下のまわりもの」という諺があった。これは金への執着を戒めたもの。
人は大部分、多様な人間性によって執着する物事が、分散されている。仏陀は、命さえ
執着すべきでないと説いている。だが醜くも最近は、金や、若さ、愛(家族愛、夫婦愛等)、
健康にも執着している。断っておくが、執着と、責任や関心とは全く異なるものである。
愛とは、責任であり、関心を持つことだが、元来は執着する対象ではない。金への執着が
引き金となり、人間が人間として執着してはならないものにドンドン執着する様になった。
醜い人間は、一部の権力者や金持ちだけで十分だったのに、現代は、そういう醜い人間を
真似る人々が増大している。これは制度の問題ではない。心の問題だ。如何なものか
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