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散歩つれづれ'11.10_(4) [閑話]

昨日、今日と曇天続きで、傘携帯散歩だった。稲穂の殆どは刈取られ、残りは10%以下?
刈取りが終わると晩秋? そしてもうすぐ立冬、初冬である。
今日の散歩も、スロージョギングで、汗をかくことはかくが、気温も最高20℃で風も冷たく、
もうそろそろ、夏の出で立ちでは風邪を引きそうである。結局、今日も傘は使わなかった。

さて昨日、アルボムッレ・スマナサーラ著「怒らないこと2」の内容を事例として、人間の生き方に
ついて考えたが、その内容が中途半端だった様に思い、もう少しだけ書き加えたいと思う。

本源的な「怒り」、即ちエントロピー増大に抵抗する本来の目的、とは何か?
それは、様々な表現・考え方があると思うが、私は、「生命の生まれた意義を高めること」
だと、考えている。生命は、食物連鎖などによって、他の生命の命を貰って生きている。
人間も現代のような強大な力を持たない時代には、他の動物の餌食になってきた。
現代でも、様々な細菌、微生物、生物に食物を提供したり、共生したりしている。
人間は、生物との共生のために、農林水産業で、人工的育成という方法を考えた。そして
力を蓄えた人間は、生物界の王族・貴族として、生物界に君臨し、それらを統御してきた。
それらの事跡の中では、暴君として自然破壊に至ったケースもあったが、そう言うケースは
局所的に自然から人間の生存意義に「ノー」を突きつけられる事によって解決されてきた。

兎も角、地球上は人間の努力によって、少なくとも人間にとっては楽園へと近づいてきた。
しかし現代では人間という生命の生まれた意義を、食物連鎖の中に見出す事は困難?だし
現代の人間は益々膨張し、他の生物の生命を益々必要としている。その問題解決ができず
従来の生物界の支配者という意義?も、通り越し、局所ではなく地球規模の暴君と化した。
現状を冷静に評価するならば、人間の生まれた意義はなくなっているのではなかろうか?

人間は、地球上における存在意義を見失っている事に気付かず、地球生物という同志を
見捨て、宇宙に脱出することを夢見て悦に入っている、実に醜い生物(怪物)と化した。
地球と地球の生物達は人間の親であり、先祖であり、先祖伝来の故郷である。現代社会は
恩も義理も、道徳観もないのか?あるのはエゴの塊なのか?地球の暴君と化した人間社会の
醜さに気付こうともせず、世渡に使う汚らわしい人間同士の道徳・倫理しかないのか?
本源的な「怒り」、エントロピー増大に抵抗する本来の目的を忘れ、人間社会がエゴに
憂き身をやつしている姿は、私には、恐龍の巨大化と何の変りもない様に見えてしまう。
人間の知性や理性も、恐龍の脳みそと変わりはないということなのか? 如何なものか
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