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室町時代と自立性志向 [歴史]

さて、室町時代は、私の考えでは現代に通じる社会の仕組みができた時代と考える。
室町時代の最近の歴史書を読むと、様々な紛争・対立が入り乱れて起こり、それが目立ち
結局、対立・紛争の連鎖の時代と言う風にしか見えない。そこで思うのであるが、従来の
歴史書は、その行間を読むための基礎知識を十分に与えていないのではないかと思う。
行間を読むための基礎知識とは何か?時代時代の社会の仕組みである。

貴族政治の仕組み、そこに関わる僧侶、武士や庶民とどういう関係にあるのか?・・・云々
そして、室町時代でいえば、従来の貴族(僧侶)、武士、農民の社会に加え、職人・商人が
どの様に発展し、それが貴族(僧侶)、武士、農民にどの様に影響したのか?・・・・等々。
そういう知識があってこそ、歴史的な出来事に触発され様々な発想が生まれ、現代社会に
活かす事が出来るのではないか?時代背景や当時の仕組みもわからず、棒暗記していても
何の役にも立たない?だから、「日本には歴史がない」といわれるのではなかろうか?

さてそこで、私が今まで聞きかじってきたことを基に、「油商人」を例にして、商人の
自立的成立過程を検討してみようと思う。「油商人」は、石清水八幡社の神人である。
断っておくが、以下の記述は既に皆さん既知の事実、或いは間違っているかも知れない。
我が家系に商人は皆無?と思われ、関連知識なく、従って常識も非常識になったかも?

ある本(黒田俊雄著「寺社勢力」)によると、寺社には僧侶・神官ではない準聖職身分が
あり、神人・公人などというらしい。平常は農民、職人、商人として生活を営む。ただ、
村落における平常生活でも「神威」によって羽振りをきかせ、商工業では仕入れ・販売の
独占など、種々の特権を公認され、ある種の組合を結成していた点に特徴があった。
神(公)人も寺社に逆らえば、仲間から「神(仏)敵」として資財押収等で懲らしめられた。
神人は訴訟の際には、社官に率いられて神輿を奉じて繰り出したと言う。神(公)人等が
庶民であるにも拘らず武士と対抗出来たのも、寺社の権威を背景にしていたからだった。

この様に、寺社が「平等な結合を基本とする共同体的原理」に相応しい概念や形態として
庶民に、講や座というある種の組合を教えたのである。それは、武士ら従来の領主による
上からの(家父長的恩情による)支配に反発する自立的庶民を生み出したという。逆に
庶民の自立性志向が、神(公)人等を生む基盤であったという。以上の様なストーリーを
信じるならば、寺社による民主化路線が、日本的に昔から展開されていたという事になる。
昔の寺社は素晴らしい発想だったのでは?何時から石頭になったのか?如何なものか
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