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室町時代とは?(2) [歴史]

従来の歴史観では、室町時代は、様々な権力争い・圧政による暗黒時代という風に印象付けられ
てきたが、様々な史的資料が明らかになって、従来の歴史観が間違っていたという説もある。
現代という時代も、「現代は最悪の時代」と、声高に叫ぶ政治家や一般人も多いのだから、
日本人にとって、暗黒の時代でない時代など無いのかも知れない?

まあ冗談はさておいて、昔は、関が儲けられていて、通行税がかかるから、通商が活発でなく、
庶民は苦労を強いられた、と良く聴かされた。先日も神戸散歩で兵庫津に行って、海にも関所が
あり、入出港船に、関税がかかって、大変だったという話を聴かされたばかりだった。
所が、室町時代の歴史書(集英社版:日本の歴史<9> 「日本国王と土民」著者・今谷明 )を
紐解くと、当時の暗黒面と共に、明るい素晴らしい側面をも物語っていた。
ここでは私が所有している「神戸市立博物館・常設展示あんない」という冊子から、室町時代の
一面を振り返ってみたい。

1)兵庫の港と瀬戸内海の流通
 15世紀前半、兵庫の港は遣明船の発着地となり、室町幕府により修築され最盛期を迎えた。
「兵庫北関入船納帳」という古文書によると、文安2年(1445)に通関した船は約二千隻。
当時と同時代の外国の記録は余り残っていないようだが、前述の歴史書によると、ハンザ同盟で
繁栄を誇ったバルト海沿岸の都市・リューベックと比較した場合に、一桁近く多いらしい。

2)中国・朝鮮との交易
 1368年に元滅び明となる。また1392年に高麗滅び朝鮮となった。足利義満は、貿易の利益に
着目して、明との国交関係を開き朝貢形式による貿易を行った。足利義満は、遣明船の着津の度
に唐船見物と称して兵庫津に下向したと記録に残っている。李氏朝鮮とも公貿易が始まり、朝鮮
使節の日本に関する当時の記録が残されている。尼崎では三毛作が行われていたという。
また中継貿易を行っていた琉球からも入船していた。応仁の乱で破壊されるまで繁栄していた
兵庫津は、当時の繁栄を示す遺物・遺跡が今も眠っているという。

 こうして見ると、間違った歴史観は、時代背景を考えない無教養が創るという事が良く解る。
歴史観だけではない。様々な背景、各国の歴史的経緯、文化、組織・風土の違い等、様々な事を
考え合わせないと時局観もトンでもない間違いを起こしてしまう。大震災も大切だが国会議員が
皆で、大震災をワイワイいうのもどうか?結局、権力者は、「応仁の乱」の大名達の様に、
自分のことしかない?やはり問題の先送りでEUや米国の様になるしかない?如何なものか。
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