SSブログ

三井寺'11.09 [歴史]

昨夜は、仲秋の名月。就寝前に気付いてあわてて表に飛び出した。
月は既に中天に昇り、眺めていると首が疲れる。無風流な月見とあいなった。

芭蕉は、数多くの月見の句を残しているが、三井寺に因んだ句がある。
◎ 三井寺の 門たたかばや 今日の月 元禄四年(1691)、義仲寺・無明庵
月見の句会が催され、招待された人々が酒・肴を持寄っての楽しい宴だった。
盛上がって湖上に舟を漕ぎ出したと言う。湖上から月光に照らされた三井寺の塔頭を
眺め、月に所縁の深い三井寺の門を、今から敲こうか、と詠んだ芭蕉の心境や如何?

この句には、「推敲」という熟語成立の基になった唐代の僧・賈島(かとう)の詩
「鳥は宿る 池中の樹 僧は推す(おす) 月下の門」を踏まえている。この詩は賈島が
弟子になった文人且つ高官・韓愈(かんゆ)の助言で「僧は敲く 月下の門」に修正した。
もう一つは、謡曲・三井寺をも踏まえていると言う。物語は母子生き別れの子探し物。
子どもをかどわかされ、子探しの途中、京都・清水寺で霊夢を授かった駿河国(静岡県)
清見ケ関の母親が、三井寺を訪問する。狂女となった母親が、龍宮から持ち帰ったという
伝説にあやかって名鐘を自分も撞きたいといって撞く。それは丁度、仲秋の満月の夜で、
三井寺では住持が弟子らを連れて月見に出てくる。騒ぎの中、狂女の身元を確かめた上で
住持を頼ってきた子どもが狂女の子であることがわかる。かくして名月所縁の寺として、
謡曲・三井寺にゆかりの人々と心を通わせたいという気持が芭蕉に沸き起こったのでは?

DSC08841弁慶.JPGDSC08839閼伽井屋.JPG三井寺の資料によると、三井寺は、天武天皇の15年(686)、大友皇子の子・村主与多王によって建立された事になっているが、考古学研究などでは、更に古い時代からあったらしい。大津京は667年から、飛鳥浄御原宮へ遷都の672年まで天智天皇の都であったが、それ以前から三井寺の前身寺院はあったという。謡曲・三井寺に出てくる名鐘は、「弁慶の引摺り鐘」(写真)。
他に見ものは、閼伽井屋(あかいや)。格子戸の奥の岩屋から、天智・天武・持統の三帝が御産湯に用いられた冷泉が、今も昏々と湧き出ている。正面上部には、左甚五郎の作という龍の彫刻(写真)がある。先日訪れた三井寺に関しては、まだ書きたい事があるが、何時かまた!
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

相国寺'11.09京都散歩'11.09最終 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。