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大津'11.09 [散歩]

DSC08827大津事件.JPG今日は、大津に行き、JR大津駅から真っ直ぐ琵琶湖に向かって歩き、旧東海道と交差する所から、今度は琵琶湖疏水の取水口に向かって歩いた。その道路沿いに、歩いていると、道路の左側に何やら石碑(写真:露国皇太子遭難地)が建っている。明治24年(1891)、帝政ロシアのニコライ皇太子に津田三蔵巡査がサーベルで切りつけた有名な大津事件の発端となった場所という。皇太子や接待などの貴人は人力車に乗っていたというが、幅の狭い道で、警護は難しかったろう。道幅は現在も当時と変わっていないそうである。まして警護中の巡査が切りつけたというのだから、たまったものではない。

そこを通り過ぎると、少し琵琶湖寄りの今度は商店街通りに切り替えた。途中に大津祭曳山展示館がある。そこの管理人(女性)が、大変熱心に大津の曳山の歴史を語ってくれた。大部分わすれたが、印象に残ったことが2つあった。1つは、大津のからくりを導入した曳山は、京都の山鉾に次いで古く、高山の山車は、大津を見習ったものということである。江戸から京都への五十三次の最後の宿場として、琵琶湖水運の要の港町としての繁栄ぶりがしのばれる。もう1つは、月宮殿山という山車を飾る毛綴織(タペストリー)のことである。16世紀にベルギーのブリュッセルで織られたものだという。この関連の作品が、京都祇園祭の鯉山鉾、鶏鉾などに分かれて使用されているという。どのような伝来ルートだったかは明らかではないそうだが、説明では、伊達正宗が慶長年間に遣欧使節として派遣した支倉常長が持ち帰ったものというのが面白かった。常長らが持ち帰った「慶長遣欧使節関係資料」は仙台市博物館に所蔵されており、平成13年(2001年)に国宝に指定されているという。当時、超高価な品物だったはずだから、資料を当たれば明確に是非が分かるはず。今も由来が明らかでないというのは、支倉常長説が、不利なのではなかろうか?DSC08830品川.JPG

昼食は、京阪石山坂本線の三井寺駅前にある近江牛・品川亭で、近江牛丼を頂いた。写真は品川亭の外見。右側がお惣菜を販売し、食事処は、左側から入る。
遅くなったので、今日はここまで。
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keiko

初めて知る話ばかりだわ。
興味深い!序でに近江牛画も興味深いわー。(結局そっちかいって?!)
by keiko (2011-09-08 18:21) 

moto

さっき帰宅したばかりです。コメントありがとう!
まあ、大津事件など、最近では小さな話になってしまい、歴史の教科書でもほとんど目立たない事件なのかな?
近江牛のお店・品川亭は、今年の四月にオープンしたというから、これから名が売れていくのかな?牛丼以外に、今回は食べなかったが、ビーフカレーもある。琵琶湖疎水巡りや、三井寺参詣などのついでに立ち寄ることのできる便利な立地条件のところにあります。
by moto (2011-09-08 23:04) 

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