SSブログ

成羽美術館・虎次郎と楽山 [歴史]

昨日は、息子の郷里での夏休み最終日。成羽美術館(旧成羽町美術館)に行ってきた。
丁度、生誕130年記念展「綜合デザイナー児島虎次郎~生活の芸術化をめざして」を開催
しており、画家・虎次郎のユニークな側面を知った。期間:7/16(土)~10/10(月)

今回の展示では、これまで紹介される機会の少なかった虎次郎の近代西洋陶器を中心とする
工芸コレクションや彼自身の木工、陶芸、デザインの仕事などが紹介されていた。URL参照
http://www.kibi.ne.jp/~n-museum/design.html
また虎次郎は、大原孫三郎が推進する倉敷の特産品創出の担い手として様々な形で協力、
さらに特産品の制作や指導に当たっていた事が、近年の調査から明らかになったという。
その具体的な形になったモノとして、虎次郎の「楽山園」の門のデザインを例に挙げた。

「楽山園」は、大正2年(1913年)に大原孫三郎氏が、当時、既に果樹園芸界の大家である
小山益太翁(号・楽山1861-1924)を招いて開いた理想的な高級果樹園だったという。
小山楽山は、現代のくだもの王国・岡山を築いた偉大な指導者である。詳しくは以下URL
http://www.rib.okayama-u.ac.jp/HP2010/profile/info_koyama.html

大原孫三郎氏は、小山氏の功績を記念して、果樹園の名前を楽山園と改称したという。
虎次郎の「楽山園」の門のデザインは、その時・大正13年(1924)に制作された。
大原孫三郎が推進する倉敷の特産品創出という大仕事には、まさに人の心が籠っていた。
素晴らしい才能を持った人々が、金のためではなく、素晴らしい日本の未来のために
互いに思いやり、助け合って、立場立場の仕事をやり遂げ、成果を上げたのである。

最後に、小山楽山を簡単に紹介しておこう。詳しくは、以下のURL参照
http://e-h.mo-blog.jp/kurasiki/2010/03/post_472d.html
文久元年九月(1861)岡山県磐梨郡稗田村(現・赤磐市稗田)の代々名主役を務める
精農家に生まれた。農業果樹栽培に志した楽山は、裏山を切開き、交配・病害虫防除等の
技術開発を独学にて行い、桃 葡萄 梨 柿 等々の果樹栽培の振興に専念した。
発明した六液という石油侵出法による除虫菊の石油乳剤は、優れた農薬として明治から
昭和初期まで全国的に利用されたという。大原孫三郎は、大正三年(1914)、小山益太を
大原奨農会農業研究所(現・岡山大学資源生物科学研究所)の創立時に園芸部・指導者として
招いた。益太の門下生で大久保重五郎氏は日本の産地で中心品種白桃を創生した。
大正十三年七月(1924)、当初の園名「名田山果樹園」園内で逝去された。如何なものか
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。