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見合い結婚 [物語]

先週から今週前半の「おひさま」は、陽子(井上真央)と和成(高良健吾)の見合いと結婚の
話である。どんなに暗くて、つらい時にも、明るく生きる事は大切である。
それにしても、春樹(田中圭)が、それを見たさに早く帰宅した結婚前夜の花嫁の挨拶。
親父さん(寺脇康文)から陽子に「長い間、世話になった!」と先手を打った挨拶は型破り。
涙を流した寺脇の熱演は、お見事な先手必勝演技だった! 実に珍しい結婚前夜の話である。
それで、気付いたのだが、この一連の物語は、見合いからして型破りだったのである!

現代は知らず、昔のお見合いは、仲人(媒酌人)を通して申し込むのが普通のやり方では?
それなのに、和成の母親(樋口可南子)が、自ら単身乗り込むというのは奇襲戦法か?
そういう仲人なしの見合いだから、和成自身が見合いの席上で断るというのも前代未聞?
更に破談になった妙齢の陽子が、和成とその両親、親父さんを前にして、激しい愛の告白。
そして、目出度く結婚にゴールイン!超ゲンダイ的な見合い結婚。これぞ「現代の超克」?

「おひさま」第57回の結婚式も、当時(昭和18年)としては、おかしい面もあった?
陽子が、終始、笑いすぎていたように思う。家の世話から逃げ出せてヤレヤレッての?
昔は公式の場では「正直に自分の気持を出すのはハシタナイ行為」という風に考えられていた。
昭和40年代の結婚式でも、「花嫁がニコニコしすぎ」と、親族からブーイングがでたのを
記憶している。勿論これは、ジョークであったが、昔の花嫁は様々な気使いをしたものだ。
真知子(マイコ)が地味な服装で列席していたのは、時局を考えた慎み深さの表現であった。
育子(満島ひかり)は、派手な服装で派手な立ち居振る舞い。貧乏人は飾り、金持は控える?
白紙同盟の三人の中で、正常な時局観は真知子だけだった? 

昭和18年(1943)は、日本連合艦隊司令長官・山本五十六戦死、アッツ島日本軍玉砕、
9月には同盟国イタリアが無条件降伏。山本五十六の戦死は、新聞で報道されたようだが、
アッツ島やイタリア降伏の報道が、当時一般になされたかどうか?詳細は知らない。もし
報道されたとしても、事実の伝達だけでは一般人が正確に状況を理解する事は難しいだろう。
現代のように大小、取り混ぜて各種報道されても、一般人が状況をどれ程理解しているか?
様々な利害関係の立場によって、興味の対象も内容の理解の仕方も様々であろう。
例えば、「東日本大震災」の、原発事故の、中央政界の、何が一般人に伝わっているのか?
そう考えると、先週から今週前半の、陽子と和成の見合い、そして華やいだ今日の結婚式の
話題が、時局から考えても決しておかしくはないと言えるのではないか?
「東日本大震災」で一時、色々な自粛が言われたが、行き過ぎた自粛も如何なものか
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