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新鮮な出会い_こぼれ話 [閑話]

大昔、小学生か中学生ぐらいの頃、何かの式典で、校長先生が
“「人」という字は、互いに支えあっている姿を示している”という訓話をしてくれた。
「独立自尊」こそ大切だと、すでに誰かに教わっていた私は、校長の話を奇異に感じた。
世の中に出ると、校長先生のいう通り、「持ちつ持たれつ」、「お互い様」
「独立自尊」などは、空想の世界、我々庶民とは別世界のことだと、観念した。

それから幾星霜を過ぎて、すでに白髪三千丈。はからずも茨木のり子の詩「倚りかからず」
と出会った。この詩を冷静に、理屈っぽく読むと、実は穴だらけなのである。

「倚りかからず」という詩は
“もはや できあいの思想 宗教 学問には倚りかかりたくない
 いかなる権威にも倚りかかりたくない“
と謳っているが、
それなら、新しいor独創的な思想 宗教 学問なら倚りかかってもいいのか?
人やもの(金品)には、倚りかかってもいいのか?
イチャモンは、幾らでもつけられる。にも拘らず、私がこの詩によって、彼女の世界を
垣間見たいと思ったのは、私の中に、直感的に響き合うものがあったからだと思う。

茨木のり子は、「おいてけぼり」という随筆の中で、流行に関する記述がある。
“ミニ全盛の頃、私は殆どのスカートを切ってしまって、今(昭和50年頃?)後悔すること頻り、
気に入っていたスカートの裾を、またぞろ出来るだけ伸ばして、ヘムなどつけている自分が、
哀れになる。断乎として切らず、進んで「おいてけぼり」をくい一サイクル待った「きんぴら夫人」
も身近にいるのであった”

ミニの流行は、1960年代後半からで1973・4年には終焉したという。
1969年(昭和44年)に首相・佐藤栄作の訪米に同行した首相夫人・佐藤寛子は当時62歳の
年齢でミニスカートを着用したという。ミニ全盛の頃、ぎりぎりアラフォーだった茨木のり子が、
ミニに のめり込んでも致し方ない?それにしても、流行に対するミーハー的感性といえる?
こういった感性は、時代の動向や、思想などにも過敏に反応し過ぎるきらいがあるだろう。
この様な部分が私と響きあった? さて「おひさま」の須藤陽子は、「きんぴら夫人」か?
注)きんぴらとは、江戸時代の浄瑠璃のヒーロー「金平」という豪傑。
  ここでは、流行に流されない“保守的な頑固者”という意味? 如何なものか
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