「おひさま」第3週 [物語]
最初に今週、気になった風俗、服装、当時の流行など時代考証の話を述べたい。
まず、食卓における作法のこと。陽子(井上真央)が父・良一(寺脇康文)に話すときには
必ず箸を置いて話相手の方に体の向きをかえ、威儀を正す(顔だけ向けるのではない)。
次兄・茂樹(永山絢斗)が、口にものを入れたまま話したり、箸で指したりなどの無作法を
陽子は、いちいち注意していた。昔は食事の作法にうるさかった。食事を満足にとれる事が
貴重なことであり、従って食事の作法は、乏しい食物を最大限に摂取するための工夫として
決められたものだったと思う。食物が豊かになり食べ残しが日常化し、最大限の摂取という
食事作法は、当初の目的を失い形骸化して今日に至っている。しかし今、考え直してみるに
食事作法の目的は食物の最適摂取であると考えれば、今もなお大切なことだと思う。
昔は食料に不自由していたから、最適摂取=最大限摂取であったに過ぎない。
初の松本でのデートにおける服装。長兄・春樹(田中圭)は、学生服に高下駄。真知子(マイコ)は
着物に草履。他の三人は洋風で統一していたのと、対照的だった。5人が喫茶店で将来のことを
話しあった場面で、新しい事に挑戦する育子(満島ひかり)と運命に逆らわずに生きるだろうという
真知子の話があった。それに対して、春樹が、両方共、正しいといい、自分は真知子、川原(金子
ノブアキ)は育子に分類した。そして陽子が「私はどっち?」との問に「どちらでもない」と応えて
幼い時のエピソードを語った。
それにしても旧制高校のバンカラ(ボロの学生服(=弊衣)破れた学帽(=破帽)・高下駄)の風習
は、現代には生き残っていないのではないか?現代の破れジーンズは舶来(ハイカラ)品であり
いわば物まね・猿真似の一種だ。バンカラ(蛮カラ)は、貧乏で自然に弊衣・破帽になることを
恥じることなくハイカラ(ハイ・カラー:高い襟=舶来品を有り難がる金持)の物質崇拝を軽蔑し、
日本精神の素晴らしさを示した風俗だった。ハイカラーは,嫌な英語教師オクトパス(近藤芳正)
が着ていそうなシャツである。
松本高等学校訪問時に白紙同盟3人組が、押したり引いたりしている様子を、春樹と川原が高み
の見物で、キートン/チャップリンの無声映画になぞらえていた。またデートの帰り道陽子が
♪あなたと呼べばあなたと答える・・・と、「二人は若い」という流行歌を口ずさみ、幼馴染のタケオ
(柄本時生)との掛け合いになったのは傑作だった。無声映画も「二人は若い」も当時の流行?
今週の御題は「初恋」。しかし、深層のテーマは、「母のいない娘」ではなかったか?
春樹からの葉書の歓びも、制服の寝押しの苦労も、川原に手を握ってもらった嬉しさも、
友情の証の腹痛も、父や兄たちには言えなかった。
春樹からの松本への誘いの葉書。追伸に書いてあった「川原もまた会いたいといっていました」に
有頂天になって踊り狂う陽子の部屋を、父・良一が突然開けてしまい、陽子は大声で父を咎めて
しまう。後悔先に立たず。気まずい雰囲気になるが、どこまでも優しい良一は、深夜、陽子の鉛筆
を懸命に削ってやった。根ッから優しい父であっても、「踊り狂った訳はいえない」と写真の母に
向かっていう陽子。夕食の食卓で、キチンと箸を置いて、父親に体全体を向けて、鉛筆削りの
お礼を言っていた。
松本城に登った時に川原に握ってもらった「右手」を、その夜は手袋をして食卓につく。
茂樹に理由を問われるが、「なんでもない」の一点張りである。こんな時にも母親がいれば、
中継基地として媒介し、お互い知っていて知らぬ振りができるだが、残念!
親友・真知子の変な思いつきに付き合い、腹痛を起した陽子。真知子の心ない母親(中村久美)
は、親友を庇った陽子の芝居に気付かず、「親の顔が見たい」、「母親がいないから云々」と、
悪し様に陽子のことを非難した。陽子は責められた事よりも、母がいない事を(懸命に我慢して
いたのに)思い出すキッカケとなり、気落ちしながら、茂樹の引くリアカーに乗って帰っていく。
無性に母に会いたくなった。色んな話をしたかった。学校の事、友だちの事、はじめて経験した
恋のこと。母が恋しかった。そんな陽子に茂樹は、「お前はものすごく頑張っているよ!
だから陽子、胸を張れ!」、「お前を嫁に貰う男は、世界一の幸せ者だと思うよ!」と優しく
語り掛けるのだった。素晴らしい兄妹愛である。 如何なものか
まず、食卓における作法のこと。陽子(井上真央)が父・良一(寺脇康文)に話すときには
必ず箸を置いて話相手の方に体の向きをかえ、威儀を正す(顔だけ向けるのではない)。
次兄・茂樹(永山絢斗)が、口にものを入れたまま話したり、箸で指したりなどの無作法を
陽子は、いちいち注意していた。昔は食事の作法にうるさかった。食事を満足にとれる事が
貴重なことであり、従って食事の作法は、乏しい食物を最大限に摂取するための工夫として
決められたものだったと思う。食物が豊かになり食べ残しが日常化し、最大限の摂取という
食事作法は、当初の目的を失い形骸化して今日に至っている。しかし今、考え直してみるに
食事作法の目的は食物の最適摂取であると考えれば、今もなお大切なことだと思う。
昔は食料に不自由していたから、最適摂取=最大限摂取であったに過ぎない。
初の松本でのデートにおける服装。長兄・春樹(田中圭)は、学生服に高下駄。真知子(マイコ)は
着物に草履。他の三人は洋風で統一していたのと、対照的だった。5人が喫茶店で将来のことを
話しあった場面で、新しい事に挑戦する育子(満島ひかり)と運命に逆らわずに生きるだろうという
真知子の話があった。それに対して、春樹が、両方共、正しいといい、自分は真知子、川原(金子
ノブアキ)は育子に分類した。そして陽子が「私はどっち?」との問に「どちらでもない」と応えて
幼い時のエピソードを語った。
それにしても旧制高校のバンカラ(ボロの学生服(=弊衣)破れた学帽(=破帽)・高下駄)の風習
は、現代には生き残っていないのではないか?現代の破れジーンズは舶来(ハイカラ)品であり
いわば物まね・猿真似の一種だ。バンカラ(蛮カラ)は、貧乏で自然に弊衣・破帽になることを
恥じることなくハイカラ(ハイ・カラー:高い襟=舶来品を有り難がる金持)の物質崇拝を軽蔑し、
日本精神の素晴らしさを示した風俗だった。ハイカラーは,嫌な英語教師オクトパス(近藤芳正)
が着ていそうなシャツである。
松本高等学校訪問時に白紙同盟3人組が、押したり引いたりしている様子を、春樹と川原が高み
の見物で、キートン/チャップリンの無声映画になぞらえていた。またデートの帰り道陽子が
♪あなたと呼べばあなたと答える・・・と、「二人は若い」という流行歌を口ずさみ、幼馴染のタケオ
(柄本時生)との掛け合いになったのは傑作だった。無声映画も「二人は若い」も当時の流行?
今週の御題は「初恋」。しかし、深層のテーマは、「母のいない娘」ではなかったか?
春樹からの葉書の歓びも、制服の寝押しの苦労も、川原に手を握ってもらった嬉しさも、
友情の証の腹痛も、父や兄たちには言えなかった。
春樹からの松本への誘いの葉書。追伸に書いてあった「川原もまた会いたいといっていました」に
有頂天になって踊り狂う陽子の部屋を、父・良一が突然開けてしまい、陽子は大声で父を咎めて
しまう。後悔先に立たず。気まずい雰囲気になるが、どこまでも優しい良一は、深夜、陽子の鉛筆
を懸命に削ってやった。根ッから優しい父であっても、「踊り狂った訳はいえない」と写真の母に
向かっていう陽子。夕食の食卓で、キチンと箸を置いて、父親に体全体を向けて、鉛筆削りの
お礼を言っていた。
松本城に登った時に川原に握ってもらった「右手」を、その夜は手袋をして食卓につく。
茂樹に理由を問われるが、「なんでもない」の一点張りである。こんな時にも母親がいれば、
中継基地として媒介し、お互い知っていて知らぬ振りができるだが、残念!
親友・真知子の変な思いつきに付き合い、腹痛を起した陽子。真知子の心ない母親(中村久美)
は、親友を庇った陽子の芝居に気付かず、「親の顔が見たい」、「母親がいないから云々」と、
悪し様に陽子のことを非難した。陽子は責められた事よりも、母がいない事を(懸命に我慢して
いたのに)思い出すキッカケとなり、気落ちしながら、茂樹の引くリアカーに乗って帰っていく。
無性に母に会いたくなった。色んな話をしたかった。学校の事、友だちの事、はじめて経験した
恋のこと。母が恋しかった。そんな陽子に茂樹は、「お前はものすごく頑張っているよ!
だから陽子、胸を張れ!」、「お前を嫁に貰う男は、世界一の幸せ者だと思うよ!」と優しく
語り掛けるのだった。素晴らしい兄妹愛である。 如何なものか
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