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終幕間近の「てっぱん」 [物語]

「てっぱん」物語もいよいよ大詰めを迎えた。「告白」の一方・欽也(遠藤要)の行方は、
昨日、私の予想通りの方向で決着がついた。父・錠(遠藤憲一)の厚い壁を乗越えたという
よりは、尾道での出産を強引に勧め、産みの苦しみにたじろぐ欽也の背中を押し、のぞみの
出産後には、欽也の覚悟を引出してやった。最後は女の子を授かったのぞみ(京野ことみ)に
是非を問い「宜しくお願いします。」の言葉まで引出してやった。情に篤い錠の導きだった。

それに引き換え、あかり(瀧本美織)の方は、今日の段階でもまだ、結論は持ち越された。
ベッチャー・初音(富司純子)が、田中荘を売払い、お金をあかりに相続すると言出した。
しかも、伝さん(竜雷太)と仲良く、老人ホームに入るという。全く予想外の展開である。
あかりは、もはや滝沢(長田成哉)の元へ行かざるを得なくなった?
この始末をどう付けるか?後三日の間の話の運びが、非常に楽しみである。

ブログ「2011-03-06「てっぱん」の魅力」で、あかりと初音の存在感を指摘した。
あかりの存在感は、主役の役得の様なところがある。しかし、それでも従来のTV小説とは
一味違う?それは、自分の知っている世界を超えたリアリティに果敢に挑戦するところだ。
勿論、自分のためなら当り前かも知れない。あかりは、自分の利害を超えてやるのである。

初音の存在感は、予想外の行動にある。常識を超えている。ベッチャーの名前の所以?
あかりと初音の年齢差(40歳以上?)を考慮すれば、普通は初音の行動は‘大人げ’ない?
だが、初音もまた、あかりと同様に、自分の利害を超えた行動であり、それらは、
あかりと同様、未知のリアリティに対する果敢な挑戦であるとも、取れなくもない。

私は、現代において、あかりと初音が挑戦する未知のリアリティこそ重要だと思っている。
我々は今や文明の最先端に居り、未知のリアリティ等は物語の世界の話だと思っている?
従って視聴者は、こんな話は破綻している、と受け取っている人もたくさん居るだろう。
現代では自分が知っている世界(TVその他で見聞したり、人から教わったりした世界)外の
未知のリアリティを想像できない。その想像力の無さが大きな災いのもとになっている?
あかりがこのまま福岡にいってしまったら、“ベッチャー” 対 “がんぼたれ”の戦いは
“がんぼたれ”の負け?それでは、あかりが求める未知のリアリティの道は塞がれてしまう。
あかりの求める未知のリアリティが明らかにならなければ「てっぱん」物語の意味がない?
ともかく、心に残る素晴らしい物語になるか?否か?楽しみである。 如何なものか
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