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教育の重要性-③ [社会]

道徳教育で大切な事は、何だろうか?様々な考え方があるだろうが、私の考えは、
1.学ぶ環境と姿勢。 2.互恵に立った批判精神。 3.人間としての責任感。
まあ、人それぞれの考え方があるから押し付けるつもりはサラサラない。

さて、国旗国歌訴訟の高裁の結果が、新聞その他に掲載されていた。
それらの中で平成11年の国旗国歌法の衆院本会議での採決では、当時党代表の菅直人首相や
前原誠司外相、枝野官房長官らは、反対票を投じていたという。菅首相は、今国会答弁では
いろいろと事情があって反対票を投じたのだと言い訳していた。言い訳の多い人?

平成維新を掲げる民主党は、政権交代後、どのような国家観・道徳観で運営していくのか?
明治維新では、日本が列強から自主・独立を勝ち取るために「天皇一元化国家」構想を考えた。
平成の開国を叫んでいる菅・民主党政権が、何の国家観・道徳観もなく混沌とした国際情勢を
乗り切れると、思っているのだろうか?
平成維新、平成の開国とは、米国がダメなら中国になびこうということなのか?

国旗国歌訴訟事件は、明らかに、従来の国家観・道徳観を異にした人々のものである。
平成維新を掲げ政権交代した民主党政権は、従来の国家観・道徳観を否定するがために「維新」
と唱えたのではないのか?即ち、国旗国歌訴訟事件を起こした人々と同じ穴のムジナ?
そう考えるのが普通だろう。平成11年・国旗国歌法採決で反対投票したのが良い証拠である。
然るに言を左右して自己の思想・信条を曖昧にし、枝野幸男官房長官は、28日の記者会見で
高裁判決を「是」とするような発言をしている。

三権分立を隠れ蓑に、判断を司法の手に委ねて、“知らぬ顔の半平衛”を決め込む手口は
尖閣諸島沖での衝突事件の時と同様である。「維新」を唱えているのに、国家観・道徳観も
曖昧、様々な国家的問題への対処も責任逃れをして、政権に拘るのは、なぜなのだろうか?

現代の戦争は、テロ、ゲリラという形態に変わった。テロ、ゲリラ活動というのは、善良な
市民に紛れ、市民を犠牲にしてでも自己中心的手法で、既成社会を破壊する活動である。
それで思い当たった。国権の最高機関である国会を牛耳る政権与党の有志は、時今だ至らず
と考え、日教組等の活動を野放しにする口実として、司法の判断に従う手法を考えた?
日教組等の活動の続行によって、国民の精神を破壊し、自分達に都合の良い自己中心的人間を
増殖させるという狙いである。即ち、従来の日本を一新する本当の維新である。



勿論、民主党の大部分の人々は、真面目な考えを持っていると思う。従って
私の推論が間違っているというなら、平成維新、平成の開国の掛け声に値するような
堂々の国家観・道徳観を提示した上で、その内容に照らして、日教組の支援を受けるのか?
打ち切るの?を明確にしてもらいたいものである。

日教組等の活動が功を奏した結果として、日本人の多くが、中国やロシヤなどの共産圏陣営に
加入することを選択する様になるかも知れない。しかし、道筋をオープンにしてやるべきでは
ないかと思う。勿論、これも私の個人的考えで、多くの人々は「内緒で進めてくれて結構。
結果がよければ良し。悪ければ他人に責任転嫁できる。」と考えるかも知れない?

日教組の教師は、生徒達が、国旗や国歌、或いは様々な世間の考え方に洗脳されており、
それを開放してやっていると思っているようだ。しかし、日教組の教師たちは、自らが
日教組の伝統に洗脳されている事に気付いていないのではないか?
オーム心理教の信者と同様である。人間は、愚かな動物である。自分を客観的にみられる
といっても限界がある。だから、民主主義、自由主義で存分な議論を尽くす必要がある
のではなかろうか?
私は、民主党や日教組を誹謗・中傷する意図は無い。みんな真剣に考えて行動している?
日教組の活動をテロやゲリラに例えたのも、日教組の活動の影響力が、細菌爆弾のように
犯人を特定できないために、益々混乱してしまうという側面を表現したかっただけである。

日教組が、私と異なる考え方をとっていることを非難しているのではない。
日教組の活動が、日本の精神的土壌を壊していることを懸念しているだけである。
壊す価値があれば壊せば良い。しかし壊した跡を修復する手立てを考えないで壊すのか?
というに過ぎない。そして、そういう行動を見て見ぬ振りをしている民主党の思想・信条、
「道徳観」「国家観」を明らかにすべきだと言っているに過ぎない。如何なものか。
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noga

最初の開国は明治維新である。二番目の開国は戦後である。三番目の開国はこれからである。


考え方にはいろいろある。自分たちの考え方が理に合わないものであることを証明するのは難しいことである。だが、それが証明できなければ、おかしな考え方を改めることも難しい。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

by noga (2011-01-30 09:28) 

moto

nogaさん
nogaさん指定の文書を少し読みました。欧米語でないと理に合うか合わないか分らないということのようですが、ならば、ドイツでナチスがドイツ国民に支持され、悪行を重ねたのは何故なのですか?
ドイツの哲学者・ヤスパースは、その著「戦争の責任を問う」で、ナチズムはいかにして可能だったか?を追求しています。これは第二次世界大戦におけるドイツの戦争責任を明らかにしたものですが、ドイツ国内では僅かな人しか読まれず推移したと言われています。私には、欧米語も万能ではないとおもいますが。日本語と五十歩百歩では?
「理」、「義」などは、「こころ」の問題で、「言葉」の問題ではない?
しかしこんな議論も、貴方からいえば、日本語だから「恣意」ということになるのでしょうかね?
by moto (2011-01-30 11:02) 

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