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教育の重要性-② [社会]

教育は限られた紙幅で語れるものではない事を承知の上で、教育問題を「道徳教育」という
観点から昨日に続き、今日読んだ「週刊新潮」2/3号の記事も参考に論じておきたい。
「週刊新潮」の2/3号の記事とは、“正気を疑う「日教組」亡国の教研集会”である。この
集会も昨日参考にした2011.1.25産経msn.comの内容と、同じ取材対象の集会である。

私は、何かを「金の牛」として、それに囚われて物事を考えないように努力しているので
記事に書かれている様な一方的非難(異なる立場からの水掛け論)をしようとは思わない。
そこで、一例を挙げて、私が何を言いたいかを示してみようと思う。
日教組の教師が書いたという文言「(日教組の教師が)生徒に(北方領土問題を相対化する
教育で)知恵を付ける事で、権力者の作り上げたシステムが壊されて、困るだろう。」と
いうのは、権力者の示す「道徳教育」システムを壊すことを意味している。

また、「大阪の学力は45くらいでええ。人権を大事にして共生で優しい子に育てばええ」と
いう教師もいる。二人に共通している点は、「権力と戦っている」という自己満足である。
しかし領土がどこの国のものか分らん。学力はええ加減でええ。それで人権を守り、共生して
やさしい人間に育つと、本気で思っているのだろうか?

そこで日教組は、現行の「道徳教育」や「教育基本法」に反対ならば、どういう精神的教育を
考えているのか?明らかにすべきである。最早、政権党の支持団体であり、政策提案も可能?
しかし、日教組の活動は、体制内における反体制活動?差し詰め、平成維新の志士気取り?
明治維新の場合もそうだが、武闘派では、政策など思いもつかないか? 

「教育」は国の基本。終戦後、日教組は、「天皇一元化国家」の旧体質が残っているとして
それを否定する左翼思想の最前線として位置づけられてきた。それで日教組は野放しになり
日教組にかき回されて、「道徳教育」の明確な方針が、曖昧なままになっている。
そして、そういう影響のためか?日教組が支持する民主党が自ら維新を唱えて政権を奪取した。
そこで権力者の責任として、日教組の教育の考え方に対して、立場を明確にすべき時がきた。
権力に楯突く団体を許容するなら彼らの唱える教育内容に!許容できないなら日教組の体質
を改善すべきだ。権力奪取後まで武闘派を野放しにするのは、最早、権力者ではない。
日教組の是非を問う。それを曖昧にしたら政権を担うに値しない事は明白? 如何なものか。
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