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美意識・感覚・現代 [社会]

感覚に関して基本を弁える事は、異邦人だけでなく身近な人への思いやりにも大変重要?
今日読んだ、嗅覚の特殊性について、有益な内容を、以下に簡単に紹介する。
1.味覚や嗅覚は、視覚や聴覚に比べて、物理的な因果関係がはっきりしない。
2.においに対する快不快、好き嫌いは、かなり主観的で、感度にも個人差がある。
3.同じにおいをかぎ続けると、知覚されなくなってしまう。
4.におい発生物質の濃度が変化する事によって、においの質が変化する。
5.においは、悪臭を芳香でマスキングできる。また複数のにおいの混在で変質する。
視覚や聴覚もマスキングや変質(変調・変色など)があるが、物理法則に従う。一方臭気は
臭気物質の濃度と一律の関係ではないし、生体側の器官も視覚や聴覚ほど一律ではない?

福田恆存は著作「日本と日本人」で戦後日本における思想・道徳等の混乱を示した上で、「日本人
の“調和を愛する感覚的美感”を土台にしない限り動きがとれない。」と指摘した(その指摘を取上
げて論じたのがブログ「2009-12-14日本的美意識」)。だが著作を書いた昭和29~30年頃
日本は和式便所で、同じにおいをかぎ続けると知覚されなくなってしまうという環境にあった
ことを忘れていた。その後の嗅覚における日本の環境変化は下水道の整備による水洗便所の
普及にみられるごとく、大きな変革を成し遂げている。しかも嗅覚には個人差も大きいと言う。
味覚の世界でも同様のことが言えるのではないか?

「臭い」、「汚い」等と言ういじめは恐らく、つい最近(三丁目の夕日時代)まではなかった?そして
そういう嗅覚に関するいじめは、本人やその家族には自覚しづらい。それが一層、イジメを深刻に
する?嗅覚知識を知らない、或いは理解できないイジメ側、いじめられ側もある意味では被害者
である。嗅覚や味覚に関して、思いやり教育を徹底すべきではなかろうか?

そこで思い出したのが、私のブログ「2009-09-01大敗と大勝」で取上げた選挙予想結果。
私は立てた仮説の不成立結果から、自分の考えの及ばない国民性の変化が起こっていると直感
したが、その原因が良くわからなかった。だが以上述べたごとく嗅覚・味覚という個人差の大きな
感覚器官が過去になかった広大な活動領域を得て鋭くなっている事が、その1原因では?と
考えるに至った。日本人の美意識が、多様化するのは良いが、味覚や嗅覚という個人差の大きな
領域で思いやりのないタコ壷思考ではなく、感覚の違う人々への思いやり思考が大切では?
異邦人だけではなく、同邦人の多様化にも、度量が試されている?如何なものか。
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和久

isimotoさん
「加齢臭」などという言い方もつい最近までありませんでしたね。
老人に取って、あまり愉快な言葉ではありません。
とはいうものの「気をつけなければ」と思う今日この頃です。
by 和久 (2010-12-30 10:15) 

moto

和久さん
臭いに限らず、現代は老人には住みづらい時代ですね。
経済も去ることながら、精神的な労りがなくなった?
今時の老人は強いからか?私など、か弱いのですがね!
by moto (2010-12-30 19:40) 

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