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再会'10.11.24 [閑話]

一昨日は、久しぶりに大学時代の旧友と再会した。毎年、開かれている10人前後の会合だが、地方に引っ込んで8年半、徐々に私の出席頻度が悪化していた。ここ数年欠席を重ね、昨年も欠席通知をしたが、そのときに、幹事から来年は、出席するようにと釘を刺された。考えてみると卒業45年の節目の年でもあり、一年前から、それなりの心の準備があったので、今回は出席できた。もし、幹事の一声がなければ、そのまま、例年の如く、毎日の雑用に振り回されて、今年も欠席していたのではなかろうか?幹事の心遣いに感謝したい。

みなさん、まだ現役の人も、一線を引いた人もいるが、それぞれに年輪を重ねながら、ほとんど衰えを知らないのには驚かされる。東京、あるいは関東で育って、東京や海外を活動の場としてやりぬいて、なお、都会をついのすみかとする人々の底知れぬ気力、迫力に気おされたが、それがまた快かった。数年ぶりにも関わらず、何の変哲もない私に関心を持っていてくれていることをうれしく思った。「無関心は愛の反対語」と、昔、ブログに書いたが、マザーテレサの言葉である。大学時代のこのグループの人々は、社会を生き抜く強さと共に、旺盛な関心を持ち続けている。いろいろなことに広く、深く関心を持つこと、それこそが、人間社会に対する「愛」なのではなかろうか?

それで、北朝鮮の韓国砲撃に関する危機管理体制の問題を思い出した。野党の追及に対して、菅首相や岡崎トミ子国家公安委員長の答弁を聴いていると、いかに彼らが、社会全般に関しての関心が薄いかがわかる。まるで指示待ち型一般人のように、あらゆることは他人事で、指示、連絡、情報を待っているだけなのでは?官邸や自分の職場である警察庁に行くことの意味がわかっていない。自分が役所に出向いて、積極的に働き掛けることが自分の仕事であるにも関わらず、関心がないから積極的に働き掛ける材料が生まれない?だから職場放棄するのだろうか?

本来は、こういう緊急事態こそ、首相や担当大臣が、いかに社会に関心があり、社会全般を愛しているかを国民に知らしめる絶好の機会である。そういうことも、現在の地位に就くまで学んでいないのは、彼らの関心が、いかに偏った関心であるかがわかるのである。民主党という組織が、党利党略だけで人材を育ててきた事が明白なのではないか?そういった認識もなく、党内に言論統制するだけでなく、自衛隊に及び、次には何処まで言論を統制するつもりなのだろうか?民主党が残り3年弱、国家権力にこだわり続けるのなら、社会全般に対する「愛」のない政治、言論統制で権力を守る政治から足を洗うべきだ。そうでなければ、自己中心の人間をますます繁殖させて、日本の良さは無くなってしまうだろう。如何なものか。
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