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月見_'10 [和歌・俳句]

月見といえば、この月の月。
◎ 雲折々 人をやすむる 月見哉  芭蕉(42歳・貞享2年:1685)

西行は、雲がかかるのを、月へのもてなしと讃えたという。
確かに、昨夜の、満天に雲の陰が見えなかった小望月は、何か寂しげだった。
芭蕉は、西行のひそみにならって、雲の働きを、月見の客へのもてなしと謳った。
十三夜の月は、薄雲が、すこしかかって、ベールの向こうの美人が、またあらわれる風情は
えもいわれぬ風流を感じたものである。さすがに、月見の名人・芭蕉だけのことはある。

◎ 晴れよとの 願いも空し きょうの月  (自作)

今日は、朝からずっと空の様子を伺っていた。昨日一昨日と同様に、今日も晴れてくれよ!
と願ったが、いよいよ絶望?空は鉛色。雨が轟く雷鳴と共に、ザンザンと降っている。
日本人、特に俳句の世界では、侘び、寂び等といい、完璧な美よりも、少し何かが不足して
いるような美を好む傾向があるのに、月見は、なぜ満月観賞なのか?不思議な気もする。
名月との出会いは、天候の悪戯で運次第。年に1度の出会いを果たせるか否か?の賭けだ。
だから俳句は、天候による運次第という不完全性に創造的魅力を感じているのかも知れない。

さて、仲秋の名月という風雅な日に、「検事逮捕」という、トンでもない事件が起きた。
村木厚子前厚生労働省局長の事件が一件落着し、とりあえず大臣官房付きで現役復帰したが、
このお目出度い話で終わるほど、問題は単純ではなかったようである。主任検察官が、
押収した証拠品を改ざんしたとなると、調書の取り方や、シナリオ作成の問題とは次元を
異にした重大極まりない問題である。検察官が、自己の正義を押し通すために証拠品を
改ざんしたのなら、それは正義ではなく思い込みの激しい「自己中心主義者」でしかない。
仮に意図をもって証拠品を改ざんしたというなら、無理筋を押し通したために、引っ込み
が付かなくなり、切羽詰ってそういった行為に走ったとしか考えられない。

もう1つの可能性は新聞報道の誤報である。新聞記者にも思い込みの激しい正義の味方が
多い。今まで多くの人が迷惑を蒙っている。小耳に挟んだ断片的な情報をつなぎ合わせて
刺激的な記事をでっち上げるのである。検察も新聞も誠実な対応を!如何なものか。
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デッチ上げファクタくん

デッチ上げといえば、こんなひどい話も。以下は引用。

元・日経新聞論説委員で現在は情報誌「FACTA」編集長の阿部重夫が、ネット上で一般会社員を誹謗中傷したものの、
実はまったくの人違いだったという大失態を演じた。しかも誹謗の根拠自体が捏造だったという無軌道ぶり。
いくら無名与太雑誌の編集長とはいえ、ジャーナリストを気取る最後のプライドもなくしてしまったようだ。

引用元  http://ameblo.jp/takion712/
     http://factahakuzu.blog89.fc2.com/
by デッチ上げファクタくん (2010-09-22 19:32) 

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