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生き方と絆・② [物語]

今日は、彼岸の入り、十三夜、そして敬老の日である。
十三夜の月見は、古来、日本独特の風習だそうであるが、今夜は大丈夫か?
午後の散歩に出かけて間もなく雨が降り出した。畑作をしている友人が喜ぶ顔が浮かんだが、
それも束の間の糠喜びで、あっけなく通り雨は上がってしまった。
◎ 友の顔 浮かんで消えた 通り雨
雨は上がり、青空も見えてきたが、南半分は雲に覆われている。十三夜の月見、実現するか?
9/17は、深夜近くに散歩。十日月が皓々と、薄雲を華やかに浮かびあがらせていた。
◎ 十日月 供に散歩で 深夜店

Dr.コトー(吉岡秀隆)の物語は、週刊誌記者・巽(津田寛治)の妹を死なせたことが原点に
ある。言い訳をすれば幾らでも出来る状況であり、普通の人であれば、病院の対応を是として
何ら恥じる事もなく、病院勤務を継続していたろう。しかしコトーは、己を恥じた。

当時を振り返って、「あの夜私は医者ではなかった。犯してはならない過ちを幾つも犯した。
私は忙しすぎて何かを見失っていた。」、とコトーは反省するのである。聞き方によっては
その言葉は、問題からの逃げ口上と受け取られかねない。しかし、彼は逃げたのではない。
コトーは、見失い、忘れかけていた大切なものを探し、思い出すために島に来たのである。
彼の探していたものが何だったかを端的に表現しているのが、第9話「暴かれた過去」冒頭の
エピソード、山下努(船木誠勝)の娘・桃子(松本梨菜)の人形事故の救急処置場面である。
他愛無いお話として見過ごされてしまうが、「Dr.コトー診療所」・全編を貫く大切な主張だ。
桃子の心の痛みをコトーは究極のところで受け止め、それを行動に表現したのである。

第4話 “病気を診るな、人を診ろ”で言われたことであるが、医者は、病気を治すだけが
役割ではない。病人を、生活から、家族や知人から分離して、生命維持するだけでは、はや
老齢の病人は人間関係から切断されてしまったと感じるだろう。コトーは次の様にも言った。
「医者は、患者の運命を握っているのではない。患者の運命の手助けをしているだけだ」と。
人形が傷付いただけで、桃子の身体には何の心配もない。しかし、医者は“人を診る”。
だから人形の手術をするのである。また第4話の患者の話では、生活面を考慮して自らの責任
において片足切断の選択をせず、リスクをかけて別の治療をするのだ。Dr.コトーの失くし物
は、人間の“絆”(自然な信頼関係)を大切にする生き方だった。如何なものか。
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keiko

昨日は敬老の日。人生の先輩blogに人生の深い探究、参考になります!
絆も心の青春も。
探究し続けるpapaもまだまだ現役ですね!見習います!
by keiko (2010-09-21 11:30) 

moto

keikoさん
ryuuやkotoの運動会や少年野球の関東大会と大活躍、おめでとう!
三連休は大忙しだった様だね。藤枝のご両親の親孝行が出来てよかった。
私の思考は幼稚だから、君たちには物足りないかもね?
ryuuやkotoに宜しく!
by moto (2010-09-21 22:20) 

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