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「ゲゲゲの女房」18週 [物語]

「ゲゲゲの女房」第18週のテーマは「悪魔くん復活」。第11週の「貧乏神をやっつけろ」で
マンガの「悪魔くん」は、取り上げられた。昭和38年(1963)に書いたマンガ「悪魔くん」
が、昭和41年に、アニメではなく、実写のテレビ番組になって復活した。
武良布枝は著書の中で、TV番組の「悪魔くん」について水木しげるは原作に拘らなかった、
と書いている。女房が、「あれほど心血を注いで書いたのに」と言わしめる程、精魂込めて
書いた「悪魔くん」の原作に旦那がなぜ拘らなかったのか?不思議に思っているようだった。

「悪魔くん」が、水木の戦争体験の精神浄化作用における最終的段階の作品だと考えると納得が
いく。今、思えば「悪魔くん」は、水木しげるの人生のターニングポイントではなかったろうか?
貧乏神にとりつかれそうになって(貧乏神にとりつかれると一生貧乏?)、「貧乏力」を振り絞って
頑張っていた時期であり、ノルかソルか人生の岐路だったのではないか?
そのマンガに対する真剣な取組み姿勢が、多くの人々の心を捉え、メジャーへの道を拓いた。

しかし、水木がメジャーになって、「悪魔くん」が再び実写のTV番組になる時に、当時の作者の
真意を忠実に再現する事は、そぐわない事に気付いたのである。マイナーがメジャーになる為の
製作態度と、メジャーになってからの製作態度は異なるのである。マイナーがメジャーになるため
には、その道の専門家を納得させる必要があるが、既に世に出た作家は、大衆に対する心構えも
自ずから異なった次元になるのだろう。人間的な幅が広がるのである。

「ゲゲゲの女房」の茂(向井理)と布美枝(松下奈緒)夫婦を見ていると、男女相互の「異質性」が
浮き彫りにされている。今週例えば、仕事によって茂は、急な出産の布美枝や誕生日の藍子を
ほったらかしにしてしまい、妹のいずみ(朝倉えりか)からヒンシュクをかう。
だが、ゲゲゲの夫婦の相互信頼関係は揺るがない。互いに愛を育み合ってきたといえばそれまで
だが、結婚以来、底なしの貧乏生活の修羅場で、信頼関係を築けた要因は何だったのか?

例えば、新「悪魔くん」への挑戦に茂は成功しないと思ったが、布美枝達の説得に応じた柔軟性。
またアシスタントに味噌汁を出すことについて布美枝が倉田(窪田正孝)を説得した時に示した
謙虚さ。それは社長の深沢(村上弘明)の気持を理解できず、不満を感じる加納郁子(桜田聖子)
とは正反対の心の使い方である。日本人が経済成長を追うとき、「異質性」に対する感受性が
鈍り、精神成長は停滞するだけではなく、退歩してしまうのではないか?如何なものか。
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